でかいトロピウス

役割論理の話をします

役割論理は期待値を無視しているのか?

多少役割論理について知識があると読みやすいと思います。

 

はじめに

役割論理をやっていると、たまにこんなことを言う人に出くわす。

「役割論理は高火力を謳っているのに期待値を無視しているから、非合理的な戦術だ」と

なるほど、確かに命中率の関係でむしろ技威力が高い技が低い技に技の期待値で劣る事例は多い。

例えば、かみなり(威力110命中70)と10まんボルト(威力90命中100)の技威力の期待値は、前者が77、後者が90となり、継続的に技を打ち続けた場合、総合的な火力は10まんボルトがかみなりを上回る。

しかし、役割論理においては10まんボルトよりもかみなりを、はどうだんよりきあいだまを採用することこそが論理的であるされ、役割論者達は技威力のためには少々の命中不安も甘んじて受け入れるべきであると主張してきた。

確かにここには、ちょっとした矛盾があるように思う。役割論理というのは必ずAかCに努力値を特化し、原則として火力アップアイテムを持たせるなど、高火力を追求する姿勢を見せている。にもかかわらず、技威力の期待値に劣る技を優先して採用するなんて、合理的ではないんじゃないだろうか?

このような批判に対する役割論理的な回答はとても単純である。つまり、必然力だ。

「役割論理において必然力によって命中率70%以上の技は必中であるから、かみなりの技威力の期待値は110であり、10万ボルトの90を上回る、だからかみなりを採用すべきなのだ。」

これは極めて単純かつ明快な説明であり、我々役割論者にとっては一分の隙もなく論理的ですらある。必然力により必中だから期待値も110のまんま!素晴らしい。

が、役割論理を用いない人たちにとっては、こういう説明は必然力という謎の概念を持ち出して不合理を押し通そうとする強弁にしか見えないであろうことも間違いなく、こういう疑問点の解決を必然力に丸投げする姿勢が、役割論理は宗教であるとか、ネタであり戦術ではないといった言説がまかり通る現状に貢献していることもまた事実であろう。

もちろん必然力という概念自体にもそれなりの理論的根拠があるし、充分合理的な概念であると言えるが、それはそれとして命中70%の技は70%の確率でしか命中せず、技の期待値というものが厳然として存在することもやっぱり事実なのである。

というわけで、役割論理においてなぜ命中不安技が採用されるべきなのかについて、必然力抜きで自分なりの考えを書いていきたい。

 

 

役割論理における期待値について

さて、役割論理というのは、火力を追求する戦術ではない。

いや、この書き方にはちょっと語弊があった。正確には、役割論理の究極的な目的は火力の追求ではない。

じゃあ役割論理の究極的な目的は何かって?それはもちろん、勝利である。

ポケモン対戦環境にはいくつもの戦術が存在し、そのほとんどが勝利という一つの結果を目標としている。役割論理とて例外ではない。そして、これらの戦術達をそれぞれ独立したものとして別つ点は、どうやって勝利を目指すのかという方法、その一点に尽きるように思える。

受けループならば、ひたすら無限にサイクルを回して相手の有限サイクルを崩壊させることによって、積み構築ならば、積み技による能力上昇を活かして有無を言わさず相手の受けも攻めも破壊することによって。そして、役割論理ならば、耐久と火力の両立による相手サイクルの高速破壊によって勝利を目指す。

つまり、役割論理という戦術における大目標は勝利、そのための手段としての中目標が相手サイクルの高速破壊、そして、更にそのための手段としての小目標が、高火力、高耐久の確保なのである。

要するに、役割論理において高火力の確保というのは、小目標の一部に過ぎないのであり、さらにこの視点から言えば、高火力は高火力でも

「相手のサイクルを高速崩壊させるための高火力」

が求められているのである。

では、相手のサイクルを高速崩壊させる高火力とはどういうものかというと、それは、基本的には、技の期待値による高火力ではなく、瞬間火力の高さなのである。

 

例えば、次のような対面を想像して欲しい。

自分の場にはサンダー、相手の場にはヒードランがいる。お互い最後の1匹であり、両者ともにHPは満タン、そして努力値はどちらも控えめHC252振りである。

この時、サンダーが10まんボルトを採用していたならば、ヒードランを倒すためには3回撃つ必要がある、一方でヒードランかえんほうしゃを受けると、サンダーは80%の確率で2回で倒されてしまう。つまり、サンダーの勝率は20%だ。

しかし、この時サンダーがかみなりを採用していたならば、ヒードランに2回当てて必ず倒すことができる、命中率を考慮すれば49%の確率だ。

お互いがSに努力値を割いていなければ、当然サンダーが先手を取れるので、言い換えればサンダー側は49%の確率でヒードランに勝利できる。

他にも、命の珠サンダーの10まんボルトではきせきH252ポリゴン2を倒すのに3発必要で、一方かみなりならば80%以上の確率で2発で倒すことができるというのもおんなじような話である。

この時、確かにサンダーの10まんボルトは安定してポリゴン2にダメージを与えられるが、それは安定して受けられて敗北に向かっているいるだけであり、勝利する可能性は、不安定であってもかみなりのほうが高いのである。

まあ実際には麻痺とかいろいろ要素はあるが、ここで私が問題にしたいのは技の火力なので、この際無視する。ドラゴンクローとドラゴンダイブとかで追加効果が絡まない似たような状態はできるので、気になる人は自分で探してくれ、めんどい。

要するに、大切なのは、一見して技の期待値に劣る攻撃が、むしろ技の期待値に勝る攻撃よりも高い勝率を引き出すという点である。

言い換えれば、上記のヒードラン対サンダーの場面において、かみなりは10まんボルトよりも技の期待値では劣るかもしれないが、勝利の期待値においては、かみなりが2倍以上の差をつけて完全に勝るのである。ちなみにこの時さらに役割論理的に火力を追求すれば、ヒードラン側は眼鏡オーバーヒートでサンダーをワンパンすることができ、勝利の期待値はヒードラン有利に再びひっくり返る。

このように、命中不安かつ高威力の採用こそが、勝利につながる場面が存在し得るということがおわかりいただけたと思う。

そしてこれと同じ現象は、当然サイクル戦においても発生しうる。

サイクル戦の最中、サンダーが10まんボルトを3回撃たなければ相手のサンダー受けを突破できない場合、サンダーの裏のポケモンは少なくとも2回は相手の攻撃を受けなければならない。こちらは相手を突破するのに時間がかかり、一方で相手はこちらを突破するのに十分なターンを確保しているのだから、サイクル負けの確率が非常に高くなる。

この時サンダーがかみなりを採用して相手のサンダー受けを2回で突破できる時は、サンダーの裏のポケモンが相手の攻撃を受ける回数は1回になる。当然、こちらの負荷は少なく、相手にはより大きな負荷がかかっているので、サイクル勝ちしやすいのは明らかである。これこそまさに役割論理の理想とする相手のサイクルの高速破壊である。

つまり、このような事例の時に命中安定技である10まんボルトを使ったとしても、やはりそれは安定してサイクル負けするだけであり、例え不安定であったとしても、かみなりを採用した方が、サイクル勝ちしやすいのだ。

そして、基本的にサイクル戦において、サイクル負けした側の方が敗北に近いことを考えれば、当然サイクル戦においても、技の期待値において劣る命中不安技のほうが、勝利の期待値ではむしろ優れている事例が存在しうることは明らかである。

そして、先ほども述べたが、役割論理というのは、相手のサイクルを崩壊させて、そして勝利するための戦術なのである。勝利するための戦術において、技の期待値と、勝利の期待値、どちらが優先されるべきかは、言うまでもないであろう。むしろ、バトルには勝てもしないのにただ総合火力の高さを正義とする方が、勝利を目的とする視点からすれば非合理的なのである。

そもそも、技の期待値という指数は、ポケモンバトルの勝利を目標とした時に、最も優先すべきものでないことは、役割論理に限らず明らかである。

火力だけを見るならば、おにびほど低火力な技は存在しないだろうし、ましてや相手にダメージを与えない変化技なんてもってのほかだろう。でも、もちろん変化技だって強いし、技威力が低くとも追加効果によって勝利に貢献する技だってたくさんある。

だから技威力の期待値というのは、ポケモン対戦を構成する無数の要素の一つに過ぎないのである。

 

よって、結論としてこの記事のタイトルに対する回答を書くと、こういうことになる。

役割論理は勝利を追求する戦術であり、そのための勝利の期待値をけして無視しておらず、この点で、最も重要な期待値を無視していない合理的な戦術である。確かに、技の期待値を無視していることもあるが、それは大した問題ではない。何故なら、役割論理はそもそも技の期待値を追求する戦術などではないのだから、この点での役割論理に対する批判は的外れだからである。

 

 

おわりに

完全に蛇足だが、ここまでの色々を考慮した上で、役割論理を使用した時の勝利の期待値が、他の戦術を使用した時の勝利の期待値よりも高いのかは、これは完全に謎である。

何しろ、今のポケモン対戦環境には数百のポケモン、数百の技が存在し、そこにほぼ無限に近い努力値の組み合わせ、行動ごとに発生する確率、そして大量の持ち物や人間の思考による選択や環境要素が加わることを考えれば、ポケモン対戦におけるあらゆる事例を検証してどの戦術の勝利の期待値が最も高くなるかを導くことなんて不可能だからである。それができたらみんなおんなじパーティ使うし。

要するに神のみぞ知るってやつなのだが、我々役割論者にはそのヤーティ神のご加護が授けられているので、当然役割論理が最も勝利に近い戦術なんですなwww貴殿らも役割論理で絶対勝利以外ありえないwww