でかいトロピウス

役割論理の話をします

たいやき喫食時におけるいわゆる頭から食べるか尻尾から食べるか議論に関する一論考

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エスは言われた。「人々にあなたがたの手で食べ物をあげなさい。」

弟子達は言った。「ここにはパン(注:たい焼きのこと)が5つと魚(注:たい焼きのこと)が2匹しかありません。」

エスは、「それを持ってここに来なさい。」と言い、そして、パン(注:たい焼きのこと)を取り、天を仰いで祝福し、裂いて弟子達にお渡しになり、弟子達がそれを群衆に配った。人々は皆食べて満腹し、その数は5000人ほどであった。

〜『マタイによる福音書14:13-21』〜

この後イエスがたい焼きを裂いた罪をローマ帝国に問われて死刑になった逸話は有名である。

 

 

たい焼きを食べる時、我々がとりうる選択肢は2つしかない、すなわち、頭から食べるか、尻尾から食べるかである。ここで割って食えだの腹から食えだの舐めた口を聞く奴の頭上には主のいかづちが降り注ぎ、一生アルフォート以外のチョコ製品を食えない体にされること請け合いである、ハレルヤ。

 

まあそれはそれとして、じゃあどっちから食うのが正解なんだよ、というのを考察する。

 

 

 

1.考察

いや頭から食えよ。たい焼きの尻尾って餡子あんま入ってないじゃん。え〜〜〜たい焼き食べたい〜〜〜〜〜って気持ちでたい焼き買って食うのに初手で餡子少ないとこ食うのはおかしいだろ、それするくらいならメロンパンでも食えよ。たい焼き買って餡子少ないところから食べたい気持ちが強いならそれはメロンパン食いたい気持ちだよ。たい焼きは餡子が主役なんだから、頭から食えよ。たい焼き終盤になってきて餡子もういいかなの気持ちの時にあっさり目の尻尾を食べることができる神の構成なんだよ。頭から食えよ。

 

 

2.終わりに

あんぱんには餡子入ってるしカレーパンにもカレーが入ってんのにメロンパンにはメロンが入っていないと嘆く幼女に「大丈夫、たい焼きには鯛が入ってないんだ、ひとりぼっちは君だけじゃないんだよ」って力強く励ますところから始まるライトノベルの主人公になりたい。