でかいトロピウス

役割論理の話をします

ヒードランはなぜ這い回ってばかりなのか〜シンオウ神話妄想〜

 

アルセウスは宇宙を創造した。

そしてディアルガは時を作り、パルキアは空間を作りだした。

同時期に生まれたギラティナは、この世の裏側に住み着き、その世界を守護している。

三匹の神、ユクシーエムリットアグノムはそれぞれ知識、感情、意思の尊さを人々に伝えた。 

ダークライは人々に悪夢を見せ、三日月の化身クレセリアはその悪夢を消してくれる。 

古代人によって封印されたレジアイスレジロックレジスチルを従えるレジギガスは大陸を動かした。

 

.........

 

一方ヒードランは十字のツメを食い込ませて壁や天井を這いまわっていた

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これは、おそらくポケ勢ならほとんど誰でも知っているんじゃないか、と思えるくらいには使い古されたコピペである。ヒードランのあまりの設定の薄さから派生したもので、その広まりっぷりは現在でも定期的に見かけるほどだ。

なるほど、ヒードランの設定は少ないし、あっても、なんだか伝説って感じはしない。よりによってポケモンシリーズ全体を通しても設定、世界観描写ともに充実していたダイヤモンド・パールに登場することも、より一層ヒードランの設定の少なさを際立たせている。

加えて、いかにものそりのそりと這いまわっていそうな見た目に、準伝説にも関わらず存在する性別といった諸要素を見れば、冒頭のようなネタが流布し、さらにゴキブロスというような俗称が広く人口に膾炙している現状も納得できるところだ。

しかし、これだけ、繰り返し繰り返し飽きるほどヒードランの設定の薄さや、そのあまりある"伝説らしくなさ"に対する指摘が繰り返されているにもかかわらず、「ではなぜ、ヒードランは伝説らしくないのか?」という面について、考えられたことは案外少なかったように思う。

確かに、ヒードランのそのあり方は、伝説のポケモンとしてはあまりにも"普通"がすぎる。まるでそこらへんにいる一般ポケモンのようだ。だがしかし、逆にいえば、どいつもこいつも深々とした設定の存在を感じさせるシンオウ伝説連中の中にあって、ありきたりであるということは、むしろ特異なことなのではないだろうか?つまり、設定がない、ということ自体に、ヒードラン、ひいてはポケットモンスターの世界観にとって重要な要素が含まれているのではないだろうか......?

 

と、いうわけで!前振りが長くなりましたが、ヒードランの世界観的立ち位置について書いていこうと思います。なお濃縮還元妄想100%です。

ちなみに、ここでは基本的にダイパのハードマウンテンのヒードランを念頭に置いてます、シンオウ神話の話だしね。てかリバースマウンテンはまだしも、ひでりのいわととか何も考えてないだろあいつら。

ついでにこの記事でゲームというときは、原則としていわゆる本編シリーズのことを指しますので、そのつもりで。

 

1.ヒードランとは何者なのか

 

さて、既に書いた通り、ヒードランは、散々ネタにされてきたポケモンなわけだが、ここでは、それがネタにされるようになってしまった根源的理由、つまりはヒードランシンオウ神話世界観における立ち位置をはんにゃり妄想していきたい。そして、まずはその前提として、ヒードラン自体がどういう存在なのかについてちょっとだけ考えてみる。

 

結論から言おう。ヒードランシンオウ地方における火山の神である。まあ、これ自体は別に突飛な結論でもないだろう。

シンオウが誕生したときに零れ落ちた火の玉から生まれたと言われている、というその誕生伝説が物語るように、ヒードランは曲がりなりにもシンオウ神話の一部として組み込まれている。

さらに、ヒードランは、実際にそれができるかは脇に置きつつも(シンオウ神話に登場するポケモンがその神話的権能を本当に振るうことができるのか、と言う話も後でしたい)、少なくとも地元住民には、噴火を司っていると信じられ、形式的とはいえおきいしによって鎮められていたわけで、大雑把に畏怖や信仰の対象となる超自然的存在のことを神様だとすると、ヒードランはその範疇に入るといってよいだろう。

ついでに言うと、火山に住まい噴火を司る神様というのは現実世界の神話でもよく見られる概念で、ハワイ神話のペレや、ギリシャ神話のテュポーン、日本で言えばイザナミなどがこれに当たる。知らない人も多いだろうけど、ここで説明するのはあれなので割愛、気になったら各自調べてね。要するに、大事なのは、火山の神様は世界中にいるよってこと。

この点反論があるとするならば、ヒードランは全く人々に恩恵を与えているようにも見えないし、一方的に畏怖される存在であるから、神ではなく妖怪に近いのではないか?と考える人もいるかもしれない。

しかし、そもそも妖怪と神様というのは、根っこのところではおんなじ存在なのである。

日本民俗学の偉人柳田國男は、河童は水神であり、山姥は山神の零落した姿であると主張した。彼らは、もともとは信仰される神様であったが、やがて彼らに対する信仰心が薄れた結果、祀られない妖怪に変化したというわけだ。

さらに、奈良時代に編纂された常陸国風土記には、ヤツノカミ(夜刀神)という存在が登場する。ヤツノカミは、人々に厄災をもたらしていたが、地元の氏族の首長に武力で追い払われ、そしてその後、首長は社を設けてヤツノカミを鎮めるために、神として祭祀したという記述がある。ここでは、怪異を祀りあげることによって、神に変換する作業が見られる。

もっと有名どころでいえば、菅原道真の怨霊を祀ったらなんか勉強の神様になってるのはよく知られているところだ。

幽霊と妖怪の違いもまためんどくさいんだけど、ここで語ることではないので、超自然的存在として一括りにさせてくれ。

このように、超自然的な怪異と神様は、根本的に同質の存在なのである。

そもそも、自然災害の化身として祀られてる神様って普通にいる。例えば、千と千尋の神隠しに出てくるハクの名前的な元ネタであろうニギハヤヒ神なんかは、隕石という巨大災害(ハヤヒは漢字で速日と書き、隕石の古語)を荒ぶる御魂に見立てて祀ったものだったりする。

なんだか話がごちゃごちゃしてきたが、私が言いたいのは、ヒードランという存在は、古くより火山の神として信仰されてきたと考えるべきだ、という話。

つまり、諸君がさんざ馬鹿にしてきたヒードランさんは、とっても偉大で、強大な存在だったのである!すごいぞ!あがめろ!!!

 

2.ヒードランの設定の薄味さ

 

が、しかし、現実として、ヒードランを無数のネタ要素が取り巻いているということも、また事実である。本当に手放しにすごいポケモンなら、そもそも馬鹿になんてされないのだ!火のないところに煙は立たない!

最初に言ったように、私はヒードランの設定の薄さにこそ意味があると考えており、で、ある以上は、具体的にどういう風に薄いのかをここで書いておくこともまた必要であろう。

と、いうわけで、ヒードランの設定のおさらいがてら、そのペラペラな設定と、その他ヒードランが馬鹿にされる理由となっていそうな諸要素について見ていこう。

ヒードランについてよく指摘される要素としては、①図鑑説明、②ゲーム内での扱い、③性別、④技、⑤メディアでの扱い、⑥そもそも言及が無さすぎる、の6つに大別できると思う。

まず①。まあいちいちここに書くのは冗長なので

https://wiki.xn--rckteqa2e.com/wiki/%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3

こっから図鑑説明の項を参照してほしい。端的に言えば、洞窟を這い回って熱くて溶けてる生物ってことですね。威厳のかけらも無い。

ついで②。ハードマウンテンの殺風景な洞窟におり、石を動かしたり置いたりするとなんか出てくる。威厳のかけらも無い。

次に③。なんか準伝で唯一雌雄の別を持つ。伝説っぽくない。威厳のかけらも無い。

そして④。HGSSで何故かむしくいを追加習得した。公認虫扱いである。なんかポケGOでもむしくいする。威厳のかけらも無い。

ついで⑤。アニメ、映画ともに扱いが一般ポケモンのそれである。超克の時空に至ってはなんか普通に悪役に使役されてる。威厳のかけらも無い。

最後に⑥。単純に設定がない。さらに言えば、その設定も文字記録がほぼない。地元のじいさんの証言がメイン。威厳のかけらも無い。

 

それぞれの要素について、後で触れて一つ一つ解消していくので、ざっくりああこんなのがあるんだ程度に把握しておいてほしい。

...ともあれ、見れば見るほど、あまりにも伝説のポケモンというには肩透かしな存在だなぁという感想しか出てこない。いやなんだこいつ、ほんとに伝説か?

 

しかし、ここに、逆になんらかの意図を感じることができないだろうか?

上で述べたように、ヒードランは明らかに、火山の神としてデザインされている。少なくとも、よく言われるような、一般ポケモンを適当に準伝に格上げしただけの存在とは言えないのである。

にもかかわらず、彼(彼女)にはそれに相応しいバックグラウンドが欠けている。少なくともゲームや、アニメの中ではそのようなものは見えてこない。

...なにかが、おかしいのではないか?ヒードランが神としてデザインされているならば、それに伴う、しかるべき扱いがあってもよい、いや、なくてはならないのだ。

作品にあるべきものが欠けている時、我々が疑うべき理由は、二つだ。

一つ目は、単にうっかり忘れていたとか、納期が迫っていたとか、世界観に関係のない要因。しかし、ポケットモンスターほどの作品がうっかり忘れた、なんてことはなかろう。それに、ダイヤモンド・パールに限らず、他のゲーム、メディアでもヒードランの扱いは一貫して悪いのである。これはちょっと考えづらい。

二つ目は、それが、製作者の、なんらかの意図によるものである場合。敢えて世界観を描かないという演出の例は、世の中にごまんとある。ヒードランも、その一つなのではないだろうか?

消去法的にも2が有力だが、さらに根拠を示すならば、上述したヒードランが馬鹿にされる要素④が挙げられる。

図鑑説明の適当さや、ゲーム内のヒードラン関連のイベントの薄さといった要素は、あくまでも、消極的にヒードランがネタになる下地を作っているにすぎないとも言える。我々ユーザー側が、それらのヒードランの設定を勝手に解釈して、いわゆるゴキブロスという存在を作り上げている面も否めないからだ。

が、④、つまりヒードランのむしくい習得に関しては訳が違う。はっきりいって、ヒードランという存在そのものに虫食い要素は存在しない。にもかかわらず、むしくいが追加されたというのは、これは公式がゴキブロスネタを推進しているとしか解釈できないのである(ないよな?ヒードランの虫食い要素に思い当たるところがあったら教えてください)。しかもなんかポケモンGOにおいても、数ある技をおしのけて、むしくいがヒードランの覚える技の一つに採用されている。

ここでは明らかに、ゲームフリーク側による、積極的なヒードランの矮小化が見られるのだ!

そもそも、ゲームフリークがこういう、非公式ネタを公式に逆輸入することはそこまで多くないと思う(なんかあったら教えてほしい、普通に知りたい)し、しかも、それがどちらかと言えば、該当ポケモンを馬鹿にするタイプのネタとなれば、なおさらそれを公式化することはないだろう、ないはずだ、常識的に考えて。

にもかかわらず、ゲームフリークは、ヒードランにむしくいを覚えさせたのである!

これでもう明らかだろう。そう、ヒードランに関する描写は、ゲームフリークによって、意図的に薄められ、もしくは歪められてきたのだ!

 

 

3.シンオウ神話におけるヒードラン

さて、ヒードランが意図的に矮小化されているとしたら、当然、それはなぜなのか、という疑問に行き着く。

神とされる存在が意図的に隠され、矮小化されるとなれば、その理由はほとんど一つであろう。それすなわち、別の神々を信仰する人々が、土着の神の信仰を弱らせて、自らの宗教の正当化を高めるためだ。

 

シンオウ神話の話をしよう。

シンオウ地方には、いくつかの神話のグループが存在する。

一つは、アルセウスディアルガパルキアギラティナからなるアルセウス神話。アグノムユクシーエムリットもこの枠。

二つ目は、レジギガスらによる、レジ神話。

三つ目は、クレセリアダークライの神話。

そして四つ目が、ヒードランだ。

 

まず、レジ系とアルセウス系が違う類型の神話であることは明白だ。レジギガスは大陸を動かし、他のレジ系を生み出した、つまり、世界の創造神としてデザインされている。アルセウスも言わずと知れた創造神である。同じ宗教世界観に創造神が二柱共存することはまずない。

続いてクレセリアダークライだけど、こいつら、情報少なすぎ...何...?まあ明らかにレジ系、アルセウス系とは異質であろう。別にこいつらはなんでもいいので特に深く突っ込まない。

んで、ヒードランヒードランを他の神話と別つ特異な点は、彼がシンオウ地方ができた際に火の玉から誕生したと伝承されている点だ。

レジギガスは、手ずからレジ系を作っている。そして、アルセウスに関しても、神話にてアルセウスが他のポケモンを生み出したと記述されるし、実際、シント遺跡のイベントにて、我々はアルセウスがディアパルギラティナを生み出す場面を目撃することができる。つまり、この二つの神話類型では、創造神が直接神々を生み出すのだ。一方で、ヒードランは、あくまでも自然発生的に、偶発的に産まれたものとして伝承されている。

ここから、ヒードランの神話と、レジ、アルセウスの神話は、明確に違う出自を持っており、よって、異なる神話のグループに属していることがわかる。

ダークライクレセリア?知らん。てかこいつらに関してはヒードランと同じグループってことにしてもいいよ、全然困らんし。

 

ともあれ、シンオウ神話には、複数の異なる神話類型が存在しており、ヒードランアルセウス系にも、レジ系にも属していないことは示せたと思う。

それぞれ面白そうな設定を抱えていて、いろいろ語れそうなことがあるのだが、とりあえず置いておく。

ここで大切なのは、各神話同士の関係性である。何故なら、その関係性にこそ、ヒードランの秘密が隠されていると私は思うからだ。

まず、これらシンオウの神話達は、シンオウ地方において、同時に栄えたものではない、という話から始めたい。

これを見てほしい

 


宇宙生まれる前
そのものひとり呼吸する
宇宙生まれしとき
そのかけらプレートとする
プレートに与えた力
倒した巨人達の力
そのもの時間 空間の2匹
分身として世に放つ
そのもの時間空間をつなぐ
3匹のポケモンをも生み出す
2匹にもの 3匹に心
祈り生ませ 世界形造る
生まれてくるポケモン
プレートの力分け与えられる
プレート握りしもの
様々に変化し力振るう

 

これは、ダイアモンド・パール内において、各種プレートを拾った際に表示される神話だ。

6行目「倒した巨人の力」に注目したい。

はたして巨人とは誰なのだろうか?とはいえ、シンオウ神話で、巨人とくれば、はっきり言って答えは一つだけだろう。そう、レジ達だ。

その力をプレートに与えた、という神話の記述も、一種で一つのタイプを担当するレジ系の特徴と合致する。

さて、倒した、というのは穏当な表現ではない。一体、彼らの間には何があったのだろうか...?

ところで、これと似たような神話を、我々は現実世界で見出すことができる。ギリシャ神話のティタノマキアだ。

ティタノマキアについてざっくり説明すると、もともと世界はクロノスやオケアノスといった巨神族(ティーターン)に支配されていた。これに対して、ゼウスやポセイドンといった、ギリシャ神話の中核をなすいわゆるオリュンポス十二神が戦いを挑んでこれを倒し、世界を自分たちのものにした、というストーリーだ。

ティーターンはゼウスらより古い神々とされており、オリュンポス神以前にギリシャで信仰されていた神々らしい。つまり、ティタノマキアは、彼らからゼウスへの、信仰対象としての権力移動の物語である。

これを踏まえた上で、アルセウスが巨人を倒した、という記述を見れば、何が起こったのかはもうお分かりだろう。そう、古い神々(レジ系)から、新しい神々(アルセウス)へと、信仰の中心が移り変わったのだ。

そもそも、上述したように、レジギガスも、アルセウスも創造神の立場にあり、相反する存在である。彼らが同時に主流派となることはありえず、よって両者に争いがあり、結果はともかく信仰の移り変わりがあること自体はむしろ当然といえよう。

さて、レジ系から、アルセウス系へと、直接の主流派の変更があったことはわかった。その上で、現在シンオウ地方で信仰の中心となっている神話が、アルセウス神話であることは、ダイヤモンド・パールのストーリーがアルセウス系の神々であるディアルガパルキアを中核に置いていることからも明らかだろう。

これは完全に余談だが、映画『名探偵ピカチュウ』の中で、ピカチュウが「母なるアルセウスよ」と呟く場面が存在する。これは、順当に解釈すれば、神への言葉の場面で、ポケモン世界の神がアルセウスだから、こういうセリフ運びになったものだと思うのだが、このことから、アルセウスという存在は、シンオウ地方に限らず、ポケモン世界にて広く信仰対象の神様として知られていることがわかる。

まあアローラにもアルセウスパクった生物兵器っぽいの作ってる奴らいるしな。

 

さて、まとめると、現在シンオウ地方ではアルセウスの神話が栄えており、その一つ前には、レジ系の神話が広く栄えていたであろうことはわかった。

では、ヒードランの神話は、いつ繁栄の時代を迎えていたのだろうか?もちろん、アルセウスを絶対的創造神とするアルセウス系と同居することはありえない。レジギガス神話を打ち倒したことからわかるように、アルセウス系神話は他の神話を排斥する傾向にある。

さりとて、レジギガスと同時ということも考えづらい。彼は彼らで、レジギガスを頂点において、レジという純度の高い統一された神話体系を築いている。そこに、ヒードランが入り込む隙間はない。

そして、レジ系からアルセウス系の間に入り込む余地もない。もしそうだとするならば、アルセウスの神話で打ち倒されるのは巨人たちではなく、赤熱した鋼の怪物だったであろうから。

 

となると、答えは一つしかない。そう、レジギガス以前である。

さらにいうと、ヒードランが馬鹿にされる理由③こと、彼らが性別を持つことも根拠の一つとなるかもしれない。基本的に、一神教というか、中央集権的な宗教の神々に性別はない。キリスト教の神は父性を持つが、それは明確な性別ではないし、イスラム教にいたっては父性すら認めない。一方で、それらより古い(一般的に多神教一神教より古いとされる)多神教の神々は性別を持ち、比較的人間らしく振る舞うことは数多の例が示している。つまり、ヒードランの性別は、彼らが古い神々であることを表しているのではないだろうか?

まあこれは完全に余談である、この論理を無視しても、上の記述からヒードランレジギガス以前の古い神であることは充分導ける。

ちなみにクレセダークライも同じ論理でレジギガス以前の神話だとわかる。こいつらとヒードランは共存の余地があるので、同時に栄えていたのかもしれないが、全然違う時期であることも同じように考えうる。まあどちらでもいいのでここでは置いておく。

ずいぶん回り道をしたが、これで、ヒードランに関する情報が消されている理由は説明できるはずだ。そう、現在世界で繁栄しているアルセウス神話は、ヒードランという古い神話の存在を許さず、それを消し去ろうとしているのだ。

レジギガス神話は、消しきれない。何しろ、アルセウスの前まで繁栄していた神話で、それをいきなり消しつぶすというのは無理があろう。キッサキ神殿もあるしね。

だが、レジギガスより前、つまり、レジギガスにすら破れたヒードラン神話ならば、十分その情報を抹消し、情報を変容させることができるだろう。故の情報不足、故の歪んだヒードランの描写なのだ。

このような、ある宗教が、他宗教を破壊し、または貶める例は、我々の世界の歴史にも容易に、数多く発見することができる。

破壊に関して身近なところでいえば、神道による廃仏毀釈があげられる。もちろん、仏教はあまりにも日本人に身近でありすぎたために、これの消滅なんて土台不可能な話ではあったが、ともかく、志向としては、仏教を破壊しようとしていたことは間違いない。

貶めることについては、ベルゼブブが挙げられる。

↓やや閲覧注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベルゼブブさん

 

 

ベルゼブブという名は、ハエの王を意味し、キリスト教においては、非常に強大な悪魔とされ、基本的には、巨大な蠅や羽虫の姿で描かれる。

しかし、本来はバアル・ゼブル(気高き主)と呼ばれた存在で、イスラエルの地で古くから信仰されてきた豊穣の神様だったのだ。

それが、後から入ってきたユダヤ教、並びにキリスト教によってここまで歪められたのである。

...神とされる存在が、後発の宗教に歪められた結果、虫扱いされる。どこか、見覚えのある構図ではないか...?ヒードランのあり方に、そっくりではないか...?

 

ともあれ、これで、ヒードランの情報が非常に少ない理由について、説明できると思う。

つまり、レジギガス、そしてアルセウス神話による破壊の結果、ヒードランに関する文献は完全に消滅し、微かに残った情報も歪められた。

もはや、辛うじてハードマウンテン近辺の住民が語り伝える伝承に、彼の神話らしさが残るのみだ。

ポケモン図鑑におけるヒードランの説明についても、これで説明がつくだろう。

世界観的に言えば、ポケモン図鑑制作者とて、アルセウス神話というスキームを構成する人物である。つまり、図鑑制作者は、アルセウス神話の影響の下、ヒードランの神話的性格を知らなかったか、もしくは、知っていたとしても、宗教的理由から、それに関する神話を図鑑説明文に載せることができなかった、いや、載せなかったのである。何故なら、ヒードランを神として認めるということは、そのまま、絶対的創造神としてのアルセウスの否定につながるからだ。

これによって上述した、ヒードランが馬鹿にされる理由①、⑥については説明がついたものだと思う。

 

さて。ここまでで、ある程度ヒードランシンオウ神話における立ち位置というものを、示せたと思う。ヒードランは、古いながらも立派な神の一角であり、現在のゴキブロスといったネタは、あくまでもアルセウスレジギガスの神話に信仰心を奪われた結果として生まれた不当なものなのだ!これからはヒードランを馬鹿にするのはやめようね!!!

てことで、これでヒードランを馬鹿にするのはやめよう!って叫んだことで締めに入ってもいいのだが、もう一歩だけ、踏み込んでみたい。というかこっからはいつもの与太話である。

これまでの話は、ゲーム内の世界観の話である。ヒードランは、ポケットモンスターというゲームの中で、アルセウス神話に破壊されて、貶められた。単純明快なストーリーだ。これはあくまでも、ポケモンという世界観の中で完結している。

私が踏み込んでみたいその一歩先とは、第四の壁の向こう側、フィクションと現実の境界線のその先、ゲームを飛び出したところに存在する、つまり我々のことだ。

私は、ここに主張したい。

ゲームフリークによるヒードラン神話の破壊は、単にゲーム内に止まらず、メタ的演出として我々プレイヤーにも直接に及んでおり、その結果として、現在の、ヒードランを揶揄する風潮が形成されている、と。

 

4.ゲームフリークはいかにしてヒードランを隠したのか

ポケモン映画は、プロパガンダである。

 

いやまあ正確には映画だけじゃなくてアニメとかメディア系全般がそうなりうるし、プロパガンダって言っても全部じゃなくて、あくまで一部作品が、一部プロパガンダ的性格を持つって程度なんだけど、そんなことをごちゃごちゃいうと格好悪いので、言いきらせてもらう。そして、この後も、そういうメディア作品をひっくるめて、映画を代表としてここは語らせてもらう。

さて、ではそれがなぜかというに、ポケモン映画の名宛人は我々だからだ。

これが、ゲームなら、その世界の名宛人は我々ではない、主人公だ。

あくまでも、ゲーム内の資料は主人公が読むもの。登場人物達も主人公に向かって話しかける。我々は、そこから間接的にポケモン世界を味わっているに過ぎない。よって、ポケモンのゲーム内で描かれるものは、どこまでいっても主人公に対して見せられるものであって、ポケモンという世界観の中で完結している。

しかし、映画は違う。ポケモンの映画は、名実ともに、我々のために作られたものだ。そこには我々が操作して動かしたりする、世界観のフィルターは存在しない、ただポケモンの公式が作ったものを、そのままなんの揺らぎもなく鑑賞することができる。つまり、ポケモン映画には、公式が伝えたいことがそのまま詰め込まれていると言って良いだろう。

でも、同時にポケモン映画は嘘っぱちである。公式が伝えたいことをそのまま載せてくるのに、その内容は嘘である、少なくともゲームを中心とする世界観から見れば。

わかりやすい例をあげよう。私みたいなダイパキッズが大好きな映画『ディアルガVSパルキアVSダークライ』の舞台とされるのは、シンオウ地方のアラモスタウンとされる。

が、こんな街は当然ゲームには登場しない、つまり、存在しないのである。この作品に限らず、ほぼ全ての映画において、舞台となった場所は、ゲーム中に登場しないだろう(いちいち全部調べるのはめんどくさかったので断言しない)。

つまり、ゲーム的世界観、それすなわち、ゲームを中心におくポケモン世界観から見れば、ポケモン映画なんてものは、全くの嘘なのである。何しろ舞台となった場所から嘘なのだから。

 

つまり、ポケモン映画は、内容自体は嘘なのに、それを通じて我々に伝えることは、ゲームよりも公式が直接伝えたいことなのである、これをプロパガンダと言わずになんと言おうか。実際映画というのは古来よりプロパガンダに使われてきた。アカデミー賞をいくつも取った『カサブランカ』や、レニ・リーフェンシュタールの傑作『意志の勝利』などはその好例だろう。

さて、話を戻そう。ポケモン映画は嘘である、ということを示した上で、一つ疑問が浮かび上がる。

...果たして、映画中で伝説のポケモン達が振るう、神話的な力は、本物なのであろうか?

ゲームの中で、ディアルガパルキアをはじめとした伝説のポケモン達が、その不思議な能力を実際に発揮することは、実はほとんどない。ディアルガが我々の目前で時を旅することはないし、パルキアが空間を切り開くこともない。ただ、そう伝えられているだけである。

それもそのはずで、例えばセレビィディアルガは共に時を操れるポケモンとされるが、時を操る存在が同時に複数匹いると、とてもややこしい問題に直面することになるのは間違いない。また、上で述べたように、伝説のポケモンが神話通りに力を使えるとすると、全てを創造するアルセウスとやはり創造神のレジギガスの同時存在は、明らかに矛盾するし、全てのポケモンの祖先なんて言われるミュウの存在もやっぱりめんどくさい。

もちろん、我らがヒードランも、ゲーム内で実際に火山を噴火させることはない。

このように、ポケモンのゲーム世界では、彼らが本当に神話的能力を使えるかどうかが、巧妙に誤魔化されていると言えよう。

なおほとんど唯一の例外とも言えるのが、シント遺跡のイベントだろう。あれどう解釈すんの?わからん。とはいえ、あくまでもディアルガといったポケモンを産み出すだけで、全てを創造する能力を振るったわけではない...ので...大丈夫

ちょっと理由づけすると、ポケモンが、信仰心によってある程度の力を得ること自体は可能だと考えることもできるし、もしくはアルセウスは元々三神(と後にされたポケモン達)を生み出すことができ、それを目撃した人々が神として信仰したとも考えることはできる...まあ流石に本筋から離れすぎるので、ここでは置いておく。誰か任せた。

とにかく、いわゆるゲームの中において、伝説のポケモン達が、その伝説たる力を本当に行使できるのかは極めて曖昧な状況に置かれているのだ。

翻って映画を見てみると、ここでは、驚くほどあっさり伝説のポケモン達は能力を用いる。ディアルガはタイムトラベルするし、パルキアは空間を弄れる。彼らは、神話通りの姿を我々に見せてくれる。

ここで、この項目の最初に書いたことを思い出してみたい。つまり、ポケモン映画は根本的に嘘が混じるが、その内容は、公式が伝えたいことなのである。

さて、何が言いたいかわかるだろうか?そう、その真偽がゲーム世界観ではあまりにも曖昧なのにも関わらず、伝説が力を使う姿をありありと見せつけてくるポケモン映画(特にアルセウス関連)は、アルセウス神話に属する神々こそが、本物の神様であると我々に誤認させるために存在するのではないだろうか?

実際、ダイヤモンド・パールを題材とした映画三作において、そのような不思議な力を使うのは、アルセウスディアルガパルキアらだけである。レジギガスが創造神っぽい性格を見せることはないし、ダークライも何か神話めいた力を持っているようには見えない。ましてやヒードランだって、映画の中で実際に噴火を起こしたりはしないのである。ここに、アルセウス神話を正当としようとするポケモン公式の考えが、見えてこないだろうか?

さて、これだけだとこじつけっぽいので、根拠を追加しよう。序盤で掲げたヒードランが馬鹿にされる理由⑤として、メディア類、特に超克の時空におけるヒードランの扱いを挙げた。これについて考える。

ヒードランを軸にさくっと映画の流れを見ると、作中でヒードランドータクンと共に悪役に使役されている。まあそもそもヒードラン自体は大して活躍もしないが。

んで、端的にいうと、悪役サイドは、サトシらによって倒され、間接的にとはいえアルセウスに屈した形となった。

さて、ここに見られるのは、サトシというマレビトが、ヒードランドータクンを操る人物を倒し、アルセウスを正当と認める一種の宗教的な物語と言えるであろうと私は思う。

マレビト(異人と書く)という思想は、日本の民俗学でよく見られる、元々閉鎖的で外からの刺激の少ない村社会においては、時折現れる外部の人間を歓迎し、それが信仰の域にまで達する、という考え方だ。

例えば、突然やってきて、悪さをするヤマタノオロチを倒すスサノオノミコトは、この種のマレビトに分類されると言って良いだろう。

サトシはもちろん、マレビトに擬せられる。なにしろ外部どころか未来からの闖入者である、稀とか異とかそういうレベルじゃねえ。

そんな存在が、アルセウスに正しさを認めるのだ。これはまさに、アルセウス神話の補強といって良いだろう。そして、それに対して、ヒードランドータクンは、悪役に使役されている存在に過ぎず、アルセウスと比べて、非常に小さく描かれている。

いやドータクン関係ないだろ!という人もいると思うので、なぜドータクンがここにいるのかについても述べておこう。とはいえこれは簡単な話だ。以下はパールにおけるドータクンの図鑑説明文である。

 

あまぐもを よび あめを ふらせる わざを もつ。ほうさくの かみさまと むかしの ひとびとは まつっていた。

 

 

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じみにすごいやつ

 

 

そう、ドータクンも、かつては神だったのである。そしてもちろん、これまで述べてきた通り、アルセウスを頂点とする神話体系に、神としてのドータクンのいるべき場所はない。よって、この映画にてドータクンヒードランが並んで使役されているのは、古い神の矮小化という意味では、当然のことですらある。

むしろ、ここにドータクンがいることが、古い神々を小さな存在にしたいというこの映画の意思を克明に表しているのではないだろうか。

 

さて、以上で映画の話は終わりにしよう。ここまでで、少なくとも、ポケモン公式が、映画という手法を用いて、アルセウス神話の信頼性を高め、その一方で、ヒードランら古きシンオウの神のイメージを損ねようとしていた、とある程度示せたと思う。

そして、この項の冒頭で述べたように、そんな映画が、直接対象としているのは、他ならぬ我々なのである。ポケモン公式は、我々に、シンオウ神話の正当さと、それ以外の神々の劣位を映画を通して示したのである。

もちろん、映画の外においても、わざわざヒードランにむしくいを覚えさせたことなどもその一環と言えよう。

なにしろ、いかに情報がなく、あってもしょぼいにしろ、少なくともゲームの中でヒードランが虫呼ばわりされることはない。

したがって、ヒードランにむしくいを追加することによって、ヒードランに対するイメージを下げるのは、まさに我々なのである。ヒードランへのむしくい追加は、間違いなく我々へのメッセージだ。ヒードランを馬鹿にしろ、という。

明らかに、ポケモンの世界観を飛び越えて、ポケモン公式は、我々に語りかけてきているのだ。

 

いろいろ語りたいことはあるが、もう充分な気もするので、まとめに入ろう。

ここで見てきたように、ポケモン公式は、世界観の枠を飛び越えて、我々に直接、ヒードランが、卑小で、カッコ悪くて、ゴキブリみたいな存在であることを教え込んでいるのである。

なぜなら、アルセウスという神が繁栄するポケモン世界において、神としてのヒードランの存在は邪魔でしかないから。

だからタイトルに答えを返すなら、それが、ヒードランが這い回ることこそが、宗教的理由から、ポケモン世界に必要なことだからなのだ。

ゲームフリークはそれを、我々に直接表現し、メタ的にヒードランの神っぽさを打ち消して、神としてのヒードランを、ゲームというフィクションの中だけでなく、我々の生きる現実世界においても、その神話を抹殺することに成功したのだ。実際、今日もポケモン界隈や、その他いろんな場所で、ヒードランはバカにされているし、これからもバカにされ続けるであろう。

 

だって、それが、アルセウス神話を正しいものとして掲げるポケモン世界の正しいあり方なのだから。

 

...先ほど、ヒードランを馬鹿にするな、などと書きましたが、ここに謹んで訂正させていただきましょう。ヒードランは、ゴキブロスなのです。洞窟で、無意味に這い回っているだけなのです。全く、特別な存在なんかではないのです。ましてや神様なんかではありません。だって、この世におわす正しい神様は、アルセウスと、それに連なる、ディアルガや、パルキア達だけなのですから...。

 

 

5.後語りめいたサムシング

なんだかとっても長くなってしまった。本当はまだたくさん書きたいことがある。特に、ヒードランが馬鹿にされる理由②については説明していない。気がつかれている方もいるだろうが、この記事で、私はそもそもヒードラン自身がどういう存在なのかについて、深く書いていない。

ただヒードランが神であることを示しただけである。ヒードラン信仰最大の特徴であるかざんのおきいしについても、書かなかった。

なぜなら字数が、やばいからである!!!!!15000字超えそうなのである!!!!!!てかこれ超えるな!!!!!!!!

というわけで、ヒードランが馬鹿にされる理由②と絡めるはずだった、かざんのおきいしとはなんなのかとか、それに関連するヒードランそのものについての妄想は、またいつか書きたいと思います。

 

(2023年くらい 追記)

続きのようなものです

https://trinidadotobag0.hatenablog.com/entry/2023/03/02/041229