でかいトロピウス

役割論理の話をします

役割論理は期待値を無視しているのか?

多少役割論理について知識があると読みやすいと思います。

 

はじめに

役割論理をやっていると、たまにこんなことを言う人に出くわす。

「役割論理は高火力を謳っているのに期待値を無視しているから、非合理的な戦術だ」と

なるほど、確かに命中率の関係でむしろ技威力が高い技が低い技に技の期待値で劣る事例は多い。

例えば、かみなり(威力110命中70)と10まんボルト(威力90命中100)の技威力の期待値は、前者が77、後者が90となり、継続的に技を打ち続けた場合、総合的な火力は10まんボルトがかみなりを上回る。

しかし、役割論理においては10まんボルトよりもかみなりを、はどうだんよりきあいだまを採用することこそが論理的であるされ、役割論者達は技威力のためには少々の命中不安も甘んじて受け入れるべきであると主張してきた。

確かにここには、ちょっとした矛盾があるように思う。役割論理というのは必ずAかCに努力値を特化し、原則として火力アップアイテムを持たせるなど、高火力を追求する姿勢を見せている。にもかかわらず、技威力の期待値に劣る技を優先して採用するなんて、合理的ではないんじゃないだろうか?

このような批判に対する役割論理的な回答はとても単純である。つまり、必然力だ。

「役割論理において必然力によって命中率70%以上の技は必中であるから、かみなりの技威力の期待値は110であり、10万ボルトの90を上回る、だからかみなりを採用すべきなのだ。」

これは極めて単純かつ明快な説明であり、我々役割論者にとっては一分の隙もなく論理的ですらある。必然力により必中だから期待値も110のまんま!素晴らしい。

が、役割論理を用いない人たちにとっては、こういう説明は必然力という謎の概念を持ち出して不合理を押し通そうとする強弁にしか見えないであろうことも間違いなく、こういう疑問点の解決を必然力に丸投げする姿勢が、役割論理は宗教であるとか、ネタであり戦術ではないといった言説がまかり通る現状に貢献していることもまた事実であろう。

もちろん必然力という概念自体にもそれなりの理論的根拠があるし、充分合理的な概念であると言えるが、それはそれとして命中70%の技は70%の確率でしか命中せず、技の期待値というものが厳然として存在することもやっぱり事実なのである。

というわけで、役割論理においてなぜ命中不安技が採用されるべきなのかについて、必然力抜きで自分なりの考えを書いていきたい。

 

 

役割論理における期待値について

さて、役割論理というのは、火力を追求する戦術ではない。

いや、この書き方にはちょっと語弊があった。正確には、役割論理の究極的な目的は火力の追求ではない。

じゃあ役割論理の究極的な目的は何かって?それはもちろん、勝利である。

ポケモン対戦環境にはいくつもの戦術が存在し、そのほとんどが勝利という一つの結果を目標としている。役割論理とて例外ではない。そして、これらの戦術達をそれぞれ独立したものとして別つ点は、どうやって勝利を目指すのかという方法、その一点に尽きるように思える。

受けループならば、ひたすら無限にサイクルを回して相手の有限サイクルを崩壊させることによって、積み構築ならば、積み技による能力上昇を活かして有無を言わさず相手の受けも攻めも破壊することによって。そして、役割論理ならば、耐久と火力の両立による相手サイクルの高速破壊によって勝利を目指す。

つまり、役割論理という戦術における大目標は勝利、そのための手段としての中目標が相手サイクルの高速破壊、そして、更にそのための手段としての小目標が、高火力、高耐久の確保なのである。

要するに、役割論理において高火力の確保というのは、小目標の一部に過ぎないのであり、さらにこの視点から言えば、高火力は高火力でも

「相手のサイクルを高速崩壊させるための高火力」

が求められているのである。

では、相手のサイクルを高速崩壊させる高火力とはどういうものかというと、それは、基本的には、技の期待値による高火力ではなく、瞬間火力の高さなのである。

 

例えば、次のような対面を想像して欲しい。

自分の場にはサンダー、相手の場にはヒードランがいる。お互い最後の1匹であり、両者ともにHPは満タン、そして努力値はどちらも控えめHC252振りである。

この時、サンダーが10まんボルトを採用していたならば、ヒードランを倒すためには3回撃つ必要がある、一方でヒードランかえんほうしゃを受けると、サンダーは80%の確率で2回で倒されてしまう。つまり、サンダーの勝率は20%だ。

しかし、この時サンダーがかみなりを採用していたならば、ヒードランに2回当てて必ず倒すことができる、命中率を考慮すれば49%の確率だ。

お互いがSに努力値を割いていなければ、当然サンダーが先手を取れるので、言い換えればサンダー側は49%の確率でヒードランに勝利できる。

他にも、命の珠サンダーの10まんボルトではきせきH252ポリゴン2を倒すのに3発必要で、一方かみなりならば80%以上の確率で2発で倒すことができるというのもおんなじような話である。

この時、確かにサンダーの10まんボルトは安定してポリゴン2にダメージを与えられるが、それは安定して受けられて敗北に向かっているいるだけであり、勝利する可能性は、不安定であってもかみなりのほうが高いのである。

まあ実際には麻痺とかいろいろ要素はあるが、ここで私が問題にしたいのは技の火力なので、この際無視する。ドラゴンクローとドラゴンダイブとかで追加効果が絡まない似たような状態はできるので、気になる人は自分で探してくれ、めんどい。

要するに、大切なのは、一見して技の期待値に劣る攻撃が、むしろ技の期待値に勝る攻撃よりも高い勝率を引き出すという点である。

言い換えれば、上記のヒードラン対サンダーの場面において、かみなりは10まんボルトよりも技の期待値では劣るかもしれないが、勝利の期待値においては、かみなりが2倍以上の差をつけて完全に勝るのである。ちなみにこの時さらに役割論理的に火力を追求すれば、ヒードラン側は眼鏡オーバーヒートでサンダーをワンパンすることができ、勝利の期待値はヒードラン有利に再びひっくり返る。

このように、命中不安かつ高威力の採用こそが、勝利につながる場面が存在し得るということがおわかりいただけたと思う。

そしてこれと同じ現象は、当然サイクル戦においても発生しうる。

サイクル戦の最中、サンダーが10まんボルトを3回撃たなければ相手のサンダー受けを突破できない場合、サンダーの裏のポケモンは少なくとも2回は相手の攻撃を受けなければならない。こちらは相手を突破するのに時間がかかり、一方で相手はこちらを突破するのに十分なターンを確保しているのだから、サイクル負けの確率が非常に高くなる。

この時サンダーがかみなりを採用して相手のサンダー受けを2回で突破できる時は、サンダーの裏のポケモンが相手の攻撃を受ける回数は1回になる。当然、こちらの負荷は少なく、相手にはより大きな負荷がかかっているので、サイクル勝ちしやすいのは明らかである。これこそまさに役割論理の理想とする相手のサイクルの高速破壊である。

つまり、このような事例の時に命中安定技である10まんボルトを使ったとしても、やはりそれは安定してサイクル負けするだけであり、例え不安定であったとしても、かみなりを採用した方が、サイクル勝ちしやすいのだ。

そして、基本的にサイクル戦において、サイクル負けした側の方が敗北に近いことを考えれば、当然サイクル戦においても、技の期待値において劣る命中不安技のほうが、勝利の期待値ではむしろ優れている事例が存在しうることは明らかである。

そして、先ほども述べたが、役割論理というのは、相手のサイクルを崩壊させて、そして勝利するための戦術なのである。勝利するための戦術において、技の期待値と、勝利の期待値、どちらが優先されるべきかは、言うまでもないであろう。むしろ、バトルには勝てもしないのにただ総合火力の高さを正義とする方が、勝利を目的とする視点からすれば非合理的なのである。

そもそも、技の期待値という指数は、ポケモンバトルの勝利を目標とした時に、最も優先すべきものでないことは、役割論理に限らず明らかである。

火力だけを見るならば、おにびほど低火力な技は存在しないだろうし、ましてや相手にダメージを与えない変化技なんてもってのほかだろう。でも、もちろん変化技だって強いし、技威力が低くとも追加効果によって勝利に貢献する技だってたくさんある。

だから技威力の期待値というのは、ポケモン対戦を構成する無数の要素の一つに過ぎないのである。

 

よって、結論としてこの記事のタイトルに対する回答を書くと、こういうことになる。

役割論理は勝利を追求する戦術であり、そのための勝利の期待値をけして無視しておらず、この点で、最も重要な期待値を無視していない合理的な戦術である。確かに、技の期待値を無視していることもあるが、それは大した問題ではない。何故なら、役割論理はそもそも技の期待値を追求する戦術などではないのだから、この点での役割論理に対する批判は的外れだからである。

 

 

おわりに

完全に蛇足だが、ここまでの色々を考慮した上で、役割論理を使用した時の勝利の期待値が、他の戦術を使用した時の勝利の期待値よりも高いのかは、これは完全に謎である。

何しろ、今のポケモン対戦環境には数百のポケモン、数百の技が存在し、そこにほぼ無限に近い努力値の組み合わせ、行動ごとに発生する確率、そして大量の持ち物や人間の思考による選択や環境要素が加わることを考えれば、ポケモン対戦におけるあらゆる事例を検証してどの戦術の勝利の期待値が最も高くなるかを導くことなんて不可能だからである。それができたらみんなおんなじパーティ使うし。

要するに神のみぞ知るってやつなのだが、我々役割論者にはそのヤーティ神のご加護が授けられているので、当然役割論理が最も勝利に近い戦術なんですなwww貴殿らも役割論理で絶対勝利以外ありえないwww

 

 

 

あんこう鍋食べたい

宮沢賢治っているじゃないですか

宮沢賢治が残した、誰でも知ってる文章といえばやっぱり雨ニモマケズだと思うんですよ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ

ってやつ

 

 

 

つまり水飛行氷炎耐性なんですよね、そうだねランターンだね

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水トムもそうだろって言うかもしれないけど、あいつ丈夫じゃないし、むしろ病気の奴にはたたりめするし

だから、ランターンって宮沢賢治なんですよ

いや、雨ニモマケズはあくまでそうなりたいってことだから、宮沢賢治そのものではないのかもしれないな

理想個体宮沢賢治ですね

 

 

ヒードランはなぜ這い回ってばかりなのか〜シンオウ神話妄想〜

 

アルセウスは宇宙を創造した。

そしてディアルガは時を作り、パルキアは空間を作りだした。

同時期に生まれたギラティナは、この世の裏側に住み着き、その世界を守護している。

三匹の神、ユクシーエムリットアグノムはそれぞれ知識、感情、意思の尊さを人々に伝えた。 

ダークライは人々に悪夢を見せ、三日月の化身クレセリアはその悪夢を消してくれる。 

古代人によって封印されたレジアイスレジロックレジスチルを従えるレジギガスは大陸を動かした。

 

.........

 

一方ヒードランは十字のツメを食い込ませて壁や天井を這いまわっていた

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これは、おそらくポケ勢ならほとんど誰でも知っているんじゃないか、と思えるくらいには使い古されたコピペである。ヒードランのあまりの設定の薄さから派生したもので、その広まりっぷりは現在でも定期的に見かけるほどだ。

なるほど、ヒードランの設定は少ないし、あっても、なんだか伝説って感じはしない。よりによってポケモンシリーズ全体を通しても設定、世界観描写ともに充実していたダイヤモンド・パールに登場することも、より一層ヒードランの設定の少なさを際立たせている。

加えて、いかにものそりのそりと這いまわっていそうな見た目に、準伝説にも関わらず存在する性別といった諸要素を見れば、冒頭のようなネタが流布し、さらにゴキブロスというような俗称が広く人口に膾炙している現状も納得できるところだ。

しかし、これだけ、繰り返し繰り返し飽きるほどヒードランの設定の薄さや、そのあまりある"伝説らしくなさ"に対する指摘が繰り返されているにもかかわらず、「ではなぜ、ヒードランは伝説らしくないのか?」という面について、考えられたことは案外少なかったように思う。

確かに、ヒードランのそのあり方は、伝説のポケモンとしてはあまりにも"普通"がすぎる。まるでそこらへんにいる一般ポケモンのようだ。だがしかし、逆にいえば、どいつもこいつも深々とした設定の存在を感じさせるシンオウ伝説連中の中にあって、ありきたりであるということは、むしろ特異なことなのではないだろうか?つまり、設定がない、ということ自体に、ヒードラン、ひいてはポケットモンスターの世界観にとって重要な要素が含まれているのではないだろうか......?

 

と、いうわけで!前振りが長くなりましたが、ヒードランの世界観的立ち位置について書いていこうと思います。なお濃縮還元妄想100%です。

ちなみに、ここでは基本的にダイパのハードマウンテンのヒードランを念頭に置いてます、シンオウ神話の話だしね。てかリバースマウンテンはまだしも、ひでりのいわととか何も考えてないだろあいつら。

ついでにこの記事でゲームというときは、原則としていわゆる本編シリーズのことを指しますので、そのつもりで。

 

1.ヒードランとは何者なのか

 

さて、既に書いた通り、ヒードランは、散々ネタにされてきたポケモンなわけだが、ここでは、それがネタにされるようになってしまった根源的理由、つまりはヒードランシンオウ神話世界観における立ち位置をはんにゃり妄想していきたい。そして、まずはその前提として、ヒードラン自体がどういう存在なのかについてちょっとだけ考えてみる。

 

結論から言おう。ヒードランシンオウ地方における火山の神である。まあ、これ自体は別に突飛な結論でもないだろう。

シンオウが誕生したときに零れ落ちた火の玉から生まれたと言われている、というその誕生伝説が物語るように、ヒードランは曲がりなりにもシンオウ神話の一部として組み込まれている。

さらに、ヒードランは、実際にそれができるかは脇に置きつつも(シンオウ神話に登場するポケモンがその神話的権能を本当に振るうことができるのか、と言う話も後でしたい)、少なくとも地元住民には、噴火を司っていると信じられ、形式的とはいえおきいしによって鎮められていたわけで、大雑把に畏怖や信仰の対象となる超自然的存在のことを神様だとすると、ヒードランはその範疇に入るといってよいだろう。

ついでに言うと、火山に住まい噴火を司る神様というのは現実世界の神話でもよく見られる概念で、ハワイ神話のペレや、ギリシャ神話のテュポーン、日本で言えばイザナミなどがこれに当たる。知らない人も多いだろうけど、ここで説明するのはあれなので割愛、気になったら各自調べてね。要するに、大事なのは、火山の神様は世界中にいるよってこと。

この点反論があるとするならば、ヒードランは全く人々に恩恵を与えているようにも見えないし、一方的に畏怖される存在であるから、神ではなく妖怪に近いのではないか?と考える人もいるかもしれない。

しかし、そもそも妖怪と神様というのは、根っこのところではおんなじ存在なのである。

日本民俗学の偉人柳田國男は、河童は水神であり、山姥は山神の零落した姿であると主張した。彼らは、もともとは信仰される神様であったが、やがて彼らに対する信仰心が薄れた結果、祀られない妖怪に変化したというわけだ。

さらに、奈良時代に編纂された常陸国風土記には、ヤツノカミ(夜刀神)という存在が登場する。ヤツノカミは、人々に厄災をもたらしていたが、地元の氏族の首長に武力で追い払われ、そしてその後、首長は社を設けてヤツノカミを鎮めるために、神として祭祀したという記述がある。ここでは、怪異を祀りあげることによって、神に変換する作業が見られる。

もっと有名どころでいえば、菅原道真の怨霊を祀ったらなんか勉強の神様になってるのはよく知られているところだ。

幽霊と妖怪の違いもまためんどくさいんだけど、ここで語ることではないので、超自然的存在として一括りにさせてくれ。

このように、超自然的な怪異と神様は、根本的に同質の存在なのである。

そもそも、自然災害の化身として祀られてる神様って普通にいる。例えば、千と千尋の神隠しに出てくるハクの名前的な元ネタであろうニギハヤヒ神なんかは、隕石という巨大災害(ハヤヒは漢字で速日と書き、隕石の古語)を荒ぶる御魂に見立てて祀ったものだったりする。

なんだか話がごちゃごちゃしてきたが、私が言いたいのは、ヒードランという存在は、古くより火山の神として信仰されてきたと考えるべきだ、という話。

つまり、諸君がさんざ馬鹿にしてきたヒードランさんは、とっても偉大で、強大な存在だったのである!すごいぞ!あがめろ!!!

 

2.ヒードランの設定の薄味さ

 

が、しかし、現実として、ヒードランを無数のネタ要素が取り巻いているということも、また事実である。本当に手放しにすごいポケモンなら、そもそも馬鹿になんてされないのだ!火のないところに煙は立たない!

最初に言ったように、私はヒードランの設定の薄さにこそ意味があると考えており、で、ある以上は、具体的にどういう風に薄いのかをここで書いておくこともまた必要であろう。

と、いうわけで、ヒードランの設定のおさらいがてら、そのペラペラな設定と、その他ヒードランが馬鹿にされる理由となっていそうな諸要素について見ていこう。

ヒードランについてよく指摘される要素としては、①図鑑説明、②ゲーム内での扱い、③性別、④技、⑤メディアでの扱い、⑥そもそも言及が無さすぎる、の6つに大別できると思う。

まず①。まあいちいちここに書くのは冗長なので

https://wiki.xn--rckteqa2e.com/wiki/%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%B3

こっから図鑑説明の項を参照してほしい。端的に言えば、洞窟を這い回って熱くて溶けてる生物ってことですね。威厳のかけらも無い。

ついで②。ハードマウンテンの殺風景な洞窟におり、石を動かしたり置いたりするとなんか出てくる。威厳のかけらも無い。

次に③。なんか準伝で唯一雌雄の別を持つ。伝説っぽくない。威厳のかけらも無い。

そして④。HGSSで何故かむしくいを追加習得した。公認虫扱いである。なんかポケGOでもむしくいする。威厳のかけらも無い。

ついで⑤。アニメ、映画ともに扱いが一般ポケモンのそれである。超克の時空に至ってはなんか普通に悪役に使役されてる。威厳のかけらも無い。

最後に⑥。単純に設定がない。さらに言えば、その設定も文字記録がほぼない。地元のじいさんの証言がメイン。威厳のかけらも無い。

 

それぞれの要素について、後で触れて一つ一つ解消していくので、ざっくりああこんなのがあるんだ程度に把握しておいてほしい。

...ともあれ、見れば見るほど、あまりにも伝説のポケモンというには肩透かしな存在だなぁという感想しか出てこない。いやなんだこいつ、ほんとに伝説か?

 

しかし、ここに、逆になんらかの意図を感じることができないだろうか?

上で述べたように、ヒードランは明らかに、火山の神としてデザインされている。少なくとも、よく言われるような、一般ポケモンを適当に準伝に格上げしただけの存在とは言えないのである。

にもかかわらず、彼(彼女)にはそれに相応しいバックグラウンドが欠けている。少なくともゲームや、アニメの中ではそのようなものは見えてこない。

...なにかが、おかしいのではないか?ヒードランが神としてデザインされているならば、それに伴う、しかるべき扱いがあってもよい、いや、なくてはならないのだ。

作品にあるべきものが欠けている時、我々が疑うべき理由は、二つだ。

一つ目は、単にうっかり忘れていたとか、納期が迫っていたとか、世界観に関係のない要因。しかし、ポケットモンスターほどの作品がうっかり忘れた、なんてことはなかろう。それに、ダイヤモンド・パールに限らず、他のゲーム、メディアでもヒードランの扱いは一貫して悪いのである。これはちょっと考えづらい。

二つ目は、それが、製作者の、なんらかの意図によるものである場合。敢えて世界観を描かないという演出の例は、世の中にごまんとある。ヒードランも、その一つなのではないだろうか?

消去法的にも2が有力だが、さらに根拠を示すならば、上述したヒードランが馬鹿にされる要素④が挙げられる。

図鑑説明の適当さや、ゲーム内のヒードラン関連のイベントの薄さといった要素は、あくまでも、消極的にヒードランがネタになる下地を作っているにすぎないとも言える。我々ユーザー側が、それらのヒードランの設定を勝手に解釈して、いわゆるゴキブロスという存在を作り上げている面も否めないからだ。

が、④、つまりヒードランのむしくい習得に関しては訳が違う。はっきりいって、ヒードランという存在そのものに虫食い要素は存在しない。にもかかわらず、むしくいが追加されたというのは、これは公式がゴキブロスネタを推進しているとしか解釈できないのである(ないよな?ヒードランの虫食い要素に思い当たるところがあったら教えてください)。しかもなんかポケモンGOにおいても、数ある技をおしのけて、むしくいがヒードランの覚える技の一つに採用されている。

ここでは明らかに、ゲームフリーク側による、積極的なヒードランの矮小化が見られるのだ!

そもそも、ゲームフリークがこういう、非公式ネタを公式に逆輸入することはそこまで多くないと思う(なんかあったら教えてほしい、普通に知りたい)し、しかも、それがどちらかと言えば、該当ポケモンを馬鹿にするタイプのネタとなれば、なおさらそれを公式化することはないだろう、ないはずだ、常識的に考えて。

にもかかわらず、ゲームフリークは、ヒードランにむしくいを覚えさせたのである!

これでもう明らかだろう。そう、ヒードランに関する描写は、ゲームフリークによって、意図的に薄められ、もしくは歪められてきたのだ!

 

 

3.シンオウ神話におけるヒードラン

さて、ヒードランが意図的に矮小化されているとしたら、当然、それはなぜなのか、という疑問に行き着く。

神とされる存在が意図的に隠され、矮小化されるとなれば、その理由はほとんど一つであろう。それすなわち、別の神々を信仰する人々が、土着の神の信仰を弱らせて、自らの宗教の正当化を高めるためだ。

 

シンオウ神話の話をしよう。

シンオウ地方には、いくつかの神話のグループが存在する。

一つは、アルセウスディアルガパルキアギラティナからなるアルセウス神話。アグノムユクシーエムリットもこの枠。

二つ目は、レジギガスらによる、レジ神話。

三つ目は、クレセリアダークライの神話。

そして四つ目が、ヒードランだ。

 

まず、レジ系とアルセウス系が違う類型の神話であることは明白だ。レジギガスは大陸を動かし、他のレジ系を生み出した、つまり、世界の創造神としてデザインされている。アルセウスも言わずと知れた創造神である。同じ宗教世界観に創造神が二柱共存することはまずない。

続いてクレセリアダークライだけど、こいつら、情報少なすぎ...何...?まあ明らかにレジ系、アルセウス系とは異質であろう。別にこいつらはなんでもいいので特に深く突っ込まない。

んで、ヒードランヒードランを他の神話と別つ特異な点は、彼がシンオウ地方ができた際に火の玉から誕生したと伝承されている点だ。

レジギガスは、手ずからレジ系を作っている。そして、アルセウスに関しても、神話にてアルセウスが他のポケモンを生み出したと記述されるし、実際、シント遺跡のイベントにて、我々はアルセウスがディアパルギラティナを生み出す場面を目撃することができる。つまり、この二つの神話類型では、創造神が直接神々を生み出すのだ。一方で、ヒードランは、あくまでも自然発生的に、偶発的に産まれたものとして伝承されている。

ここから、ヒードランの神話と、レジ、アルセウスの神話は、明確に違う出自を持っており、よって、異なる神話のグループに属していることがわかる。

ダークライクレセリア?知らん。てかこいつらに関してはヒードランと同じグループってことにしてもいいよ、全然困らんし。

 

ともあれ、シンオウ神話には、複数の異なる神話類型が存在しており、ヒードランアルセウス系にも、レジ系にも属していないことは示せたと思う。

それぞれ面白そうな設定を抱えていて、いろいろ語れそうなことがあるのだが、とりあえず置いておく。

ここで大切なのは、各神話同士の関係性である。何故なら、その関係性にこそ、ヒードランの秘密が隠されていると私は思うからだ。

まず、これらシンオウの神話達は、シンオウ地方において、同時に栄えたものではない、という話から始めたい。

これを見てほしい

 


宇宙生まれる前
そのものひとり呼吸する
宇宙生まれしとき
そのかけらプレートとする
プレートに与えた力
倒した巨人達の力
そのもの時間 空間の2匹
分身として世に放つ
そのもの時間空間をつなぐ
3匹のポケモンをも生み出す
2匹にもの 3匹に心
祈り生ませ 世界形造る
生まれてくるポケモン
プレートの力分け与えられる
プレート握りしもの
様々に変化し力振るう

 

これは、ダイアモンド・パール内において、各種プレートを拾った際に表示される神話だ。

6行目「倒した巨人の力」に注目したい。

はたして巨人とは誰なのだろうか?とはいえ、シンオウ神話で、巨人とくれば、はっきり言って答えは一つだけだろう。そう、レジ達だ。

その力をプレートに与えた、という神話の記述も、一種で一つのタイプを担当するレジ系の特徴と合致する。

さて、倒した、というのは穏当な表現ではない。一体、彼らの間には何があったのだろうか...?

ところで、これと似たような神話を、我々は現実世界で見出すことができる。ギリシャ神話のティタノマキアだ。

ティタノマキアについてざっくり説明すると、もともと世界はクロノスやオケアノスといった巨神族(ティーターン)に支配されていた。これに対して、ゼウスやポセイドンといった、ギリシャ神話の中核をなすいわゆるオリュンポス十二神が戦いを挑んでこれを倒し、世界を自分たちのものにした、というストーリーだ。

ティーターンはゼウスらより古い神々とされており、オリュンポス神以前にギリシャで信仰されていた神々らしい。つまり、ティタノマキアは、彼らからゼウスへの、信仰対象としての権力移動の物語である。

これを踏まえた上で、アルセウスが巨人を倒した、という記述を見れば、何が起こったのかはもうお分かりだろう。そう、古い神々(レジ系)から、新しい神々(アルセウス)へと、信仰の中心が移り変わったのだ。

そもそも、上述したように、レジギガスも、アルセウスも創造神の立場にあり、相反する存在である。彼らが同時に主流派となることはありえず、よって両者に争いがあり、結果はともかく信仰の移り変わりがあること自体はむしろ当然といえよう。

さて、レジ系から、アルセウス系へと、直接の主流派の変更があったことはわかった。その上で、現在シンオウ地方で信仰の中心となっている神話が、アルセウス神話であることは、ダイヤモンド・パールのストーリーがアルセウス系の神々であるディアルガパルキアを中核に置いていることからも明らかだろう。

これは完全に余談だが、映画『名探偵ピカチュウ』の中で、ピカチュウが「母なるアルセウスよ」と呟く場面が存在する。これは、順当に解釈すれば、神への言葉の場面で、ポケモン世界の神がアルセウスだから、こういうセリフ運びになったものだと思うのだが、このことから、アルセウスという存在は、シンオウ地方に限らず、ポケモン世界にて広く信仰対象の神様として知られていることがわかる。

まあアローラにもアルセウスパクった生物兵器っぽいの作ってる奴らいるしな。

 

さて、まとめると、現在シンオウ地方ではアルセウスの神話が栄えており、その一つ前には、レジ系の神話が広く栄えていたであろうことはわかった。

では、ヒードランの神話は、いつ繁栄の時代を迎えていたのだろうか?もちろん、アルセウスを絶対的創造神とするアルセウス系と同居することはありえない。レジギガス神話を打ち倒したことからわかるように、アルセウス系神話は他の神話を排斥する傾向にある。

さりとて、レジギガスと同時ということも考えづらい。彼は彼らで、レジギガスを頂点において、レジという純度の高い統一された神話体系を築いている。そこに、ヒードランが入り込む隙間はない。

そして、レジ系からアルセウス系の間に入り込む余地もない。もしそうだとするならば、アルセウスの神話で打ち倒されるのは巨人たちではなく、赤熱した鋼の怪物だったであろうから。

 

となると、答えは一つしかない。そう、レジギガス以前である。

さらにいうと、ヒードランが馬鹿にされる理由③こと、彼らが性別を持つことも根拠の一つとなるかもしれない。基本的に、一神教というか、中央集権的な宗教の神々に性別はない。キリスト教の神は父性を持つが、それは明確な性別ではないし、イスラム教にいたっては父性すら認めない。一方で、それらより古い(一般的に多神教一神教より古いとされる)多神教の神々は性別を持ち、比較的人間らしく振る舞うことは数多の例が示している。つまり、ヒードランの性別は、彼らが古い神々であることを表しているのではないだろうか?

まあこれは完全に余談である、この論理を無視しても、上の記述からヒードランレジギガス以前の古い神であることは充分導ける。

ちなみにクレセダークライも同じ論理でレジギガス以前の神話だとわかる。こいつらとヒードランは共存の余地があるので、同時に栄えていたのかもしれないが、全然違う時期であることも同じように考えうる。まあどちらでもいいのでここでは置いておく。

ずいぶん回り道をしたが、これで、ヒードランに関する情報が消されている理由は説明できるはずだ。そう、現在世界で繁栄しているアルセウス神話は、ヒードランという古い神話の存在を許さず、それを消し去ろうとしているのだ。

レジギガス神話は、消しきれない。何しろ、アルセウスの前まで繁栄していた神話で、それをいきなり消しつぶすというのは無理があろう。キッサキ神殿もあるしね。

だが、レジギガスより前、つまり、レジギガスにすら破れたヒードラン神話ならば、十分その情報を抹消し、情報を変容させることができるだろう。故の情報不足、故の歪んだヒードランの描写なのだ。

このような、ある宗教が、他宗教を破壊し、または貶める例は、我々の世界の歴史にも容易に、数多く発見することができる。

破壊に関して身近なところでいえば、神道による廃仏毀釈があげられる。もちろん、仏教はあまりにも日本人に身近でありすぎたために、これの消滅なんて土台不可能な話ではあったが、ともかく、志向としては、仏教を破壊しようとしていたことは間違いない。

貶めることについては、ベルゼブブが挙げられる。

↓やや閲覧注意

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベルゼブブさん

 

 

ベルゼブブという名は、ハエの王を意味し、キリスト教においては、非常に強大な悪魔とされ、基本的には、巨大な蠅や羽虫の姿で描かれる。

しかし、本来はバアル・ゼブル(気高き主)と呼ばれた存在で、イスラエルの地で古くから信仰されてきた豊穣の神様だったのだ。

それが、後から入ってきたユダヤ教、並びにキリスト教によってここまで歪められたのである。

...神とされる存在が、後発の宗教に歪められた結果、虫扱いされる。どこか、見覚えのある構図ではないか...?ヒードランのあり方に、そっくりではないか...?

 

ともあれ、これで、ヒードランの情報が非常に少ない理由について、説明できると思う。

つまり、レジギガス、そしてアルセウス神話による破壊の結果、ヒードランに関する文献は完全に消滅し、微かに残った情報も歪められた。

もはや、辛うじてハードマウンテン近辺の住民が語り伝える伝承に、彼の神話らしさが残るのみだ。

ポケモン図鑑におけるヒードランの説明についても、これで説明がつくだろう。

世界観的に言えば、ポケモン図鑑制作者とて、アルセウス神話というスキームを構成する人物である。つまり、図鑑制作者は、アルセウス神話の影響の下、ヒードランの神話的性格を知らなかったか、もしくは、知っていたとしても、宗教的理由から、それに関する神話を図鑑説明文に載せることができなかった、いや、載せなかったのである。何故なら、ヒードランを神として認めるということは、そのまま、絶対的創造神としてのアルセウスの否定につながるからだ。

これによって上述した、ヒードランが馬鹿にされる理由①、⑥については説明がついたものだと思う。

 

さて。ここまでで、ある程度ヒードランシンオウ神話における立ち位置というものを、示せたと思う。ヒードランは、古いながらも立派な神の一角であり、現在のゴキブロスといったネタは、あくまでもアルセウスレジギガスの神話に信仰心を奪われた結果として生まれた不当なものなのだ!これからはヒードランを馬鹿にするのはやめようね!!!

てことで、これでヒードランを馬鹿にするのはやめよう!って叫んだことで締めに入ってもいいのだが、もう一歩だけ、踏み込んでみたい。というかこっからはいつもの与太話である。

これまでの話は、ゲーム内の世界観の話である。ヒードランは、ポケットモンスターというゲームの中で、アルセウス神話に破壊されて、貶められた。単純明快なストーリーだ。これはあくまでも、ポケモンという世界観の中で完結している。

私が踏み込んでみたいその一歩先とは、第四の壁の向こう側、フィクションと現実の境界線のその先、ゲームを飛び出したところに存在する、つまり我々のことだ。

私は、ここに主張したい。

ゲームフリークによるヒードラン神話の破壊は、単にゲーム内に止まらず、メタ的演出として我々プレイヤーにも直接に及んでおり、その結果として、現在の、ヒードランを揶揄する風潮が形成されている、と。

 

4.ゲームフリークはいかにしてヒードランを隠したのか

ポケモン映画は、プロパガンダである。

 

いやまあ正確には映画だけじゃなくてアニメとかメディア系全般がそうなりうるし、プロパガンダって言っても全部じゃなくて、あくまで一部作品が、一部プロパガンダ的性格を持つって程度なんだけど、そんなことをごちゃごちゃいうと格好悪いので、言いきらせてもらう。そして、この後も、そういうメディア作品をひっくるめて、映画を代表としてここは語らせてもらう。

さて、ではそれがなぜかというに、ポケモン映画の名宛人は我々だからだ。

これが、ゲームなら、その世界の名宛人は我々ではない、主人公だ。

あくまでも、ゲーム内の資料は主人公が読むもの。登場人物達も主人公に向かって話しかける。我々は、そこから間接的にポケモン世界を味わっているに過ぎない。よって、ポケモンのゲーム内で描かれるものは、どこまでいっても主人公に対して見せられるものであって、ポケモンという世界観の中で完結している。

しかし、映画は違う。ポケモンの映画は、名実ともに、我々のために作られたものだ。そこには我々が操作して動かしたりする、世界観のフィルターは存在しない、ただポケモンの公式が作ったものを、そのままなんの揺らぎもなく鑑賞することができる。つまり、ポケモン映画には、公式が伝えたいことがそのまま詰め込まれていると言って良いだろう。

でも、同時にポケモン映画は嘘っぱちである。公式が伝えたいことをそのまま載せてくるのに、その内容は嘘である、少なくともゲームを中心とする世界観から見れば。

わかりやすい例をあげよう。私みたいなダイパキッズが大好きな映画『ディアルガVSパルキアVSダークライ』の舞台とされるのは、シンオウ地方のアラモスタウンとされる。

が、こんな街は当然ゲームには登場しない、つまり、存在しないのである。この作品に限らず、ほぼ全ての映画において、舞台となった場所は、ゲーム中に登場しないだろう(いちいち全部調べるのはめんどくさかったので断言しない)。

つまり、ゲーム的世界観、それすなわち、ゲームを中心におくポケモン世界観から見れば、ポケモン映画なんてものは、全くの嘘なのである。何しろ舞台となった場所から嘘なのだから。

 

つまり、ポケモン映画は、内容自体は嘘なのに、それを通じて我々に伝えることは、ゲームよりも公式が直接伝えたいことなのである、これをプロパガンダと言わずになんと言おうか。実際映画というのは古来よりプロパガンダに使われてきた。アカデミー賞をいくつも取った『カサブランカ』や、レニ・リーフェンシュタールの傑作『意志の勝利』などはその好例だろう。

さて、話を戻そう。ポケモン映画は嘘である、ということを示した上で、一つ疑問が浮かび上がる。

...果たして、映画中で伝説のポケモン達が振るう、神話的な力は、本物なのであろうか?

ゲームの中で、ディアルガパルキアをはじめとした伝説のポケモン達が、その不思議な能力を実際に発揮することは、実はほとんどない。ディアルガが我々の目前で時を旅することはないし、パルキアが空間を切り開くこともない。ただ、そう伝えられているだけである。

それもそのはずで、例えばセレビィディアルガは共に時を操れるポケモンとされるが、時を操る存在が同時に複数匹いると、とてもややこしい問題に直面することになるのは間違いない。また、上で述べたように、伝説のポケモンが神話通りに力を使えるとすると、全てを創造するアルセウスとやはり創造神のレジギガスの同時存在は、明らかに矛盾するし、全てのポケモンの祖先なんて言われるミュウの存在もやっぱりめんどくさい。

もちろん、我らがヒードランも、ゲーム内で実際に火山を噴火させることはない。

このように、ポケモンのゲーム世界では、彼らが本当に神話的能力を使えるかどうかが、巧妙に誤魔化されていると言えよう。

なおほとんど唯一の例外とも言えるのが、シント遺跡のイベントだろう。あれどう解釈すんの?わからん。とはいえ、あくまでもディアルガといったポケモンを産み出すだけで、全てを創造する能力を振るったわけではない...ので...大丈夫

ちょっと理由づけすると、ポケモンが、信仰心によってある程度の力を得ること自体は可能だと考えることもできるし、もしくはアルセウスは元々三神(と後にされたポケモン達)を生み出すことができ、それを目撃した人々が神として信仰したとも考えることはできる...まあ流石に本筋から離れすぎるので、ここでは置いておく。誰か任せた。

とにかく、いわゆるゲームの中において、伝説のポケモン達が、その伝説たる力を本当に行使できるのかは極めて曖昧な状況に置かれているのだ。

翻って映画を見てみると、ここでは、驚くほどあっさり伝説のポケモン達は能力を用いる。ディアルガはタイムトラベルするし、パルキアは空間を弄れる。彼らは、神話通りの姿を我々に見せてくれる。

ここで、この項目の最初に書いたことを思い出してみたい。つまり、ポケモン映画は根本的に嘘が混じるが、その内容は、公式が伝えたいことなのである。

さて、何が言いたいかわかるだろうか?そう、その真偽がゲーム世界観ではあまりにも曖昧なのにも関わらず、伝説が力を使う姿をありありと見せつけてくるポケモン映画(特にアルセウス関連)は、アルセウス神話に属する神々こそが、本物の神様であると我々に誤認させるために存在するのではないだろうか?

実際、ダイヤモンド・パールを題材とした映画三作において、そのような不思議な力を使うのは、アルセウスディアルガパルキアらだけである。レジギガスが創造神っぽい性格を見せることはないし、ダークライも何か神話めいた力を持っているようには見えない。ましてやヒードランだって、映画の中で実際に噴火を起こしたりはしないのである。ここに、アルセウス神話を正当としようとするポケモン公式の考えが、見えてこないだろうか?

さて、これだけだとこじつけっぽいので、根拠を追加しよう。序盤で掲げたヒードランが馬鹿にされる理由⑤として、メディア類、特に超克の時空におけるヒードランの扱いを挙げた。これについて考える。

ヒードランを軸にさくっと映画の流れを見ると、作中でヒードランドータクンと共に悪役に使役されている。まあそもそもヒードラン自体は大して活躍もしないが。

んで、端的にいうと、悪役サイドは、サトシらによって倒され、間接的にとはいえアルセウスに屈した形となった。

さて、ここに見られるのは、サトシというマレビトが、ヒードランドータクンを操る人物を倒し、アルセウスを正当と認める一種の宗教的な物語と言えるであろうと私は思う。

マレビト(異人と書く)という思想は、日本の民俗学でよく見られる、元々閉鎖的で外からの刺激の少ない村社会においては、時折現れる外部の人間を歓迎し、それが信仰の域にまで達する、という考え方だ。

例えば、突然やってきて、悪さをするヤマタノオロチを倒すスサノオノミコトは、この種のマレビトに分類されると言って良いだろう。

サトシはもちろん、マレビトに擬せられる。なにしろ外部どころか未来からの闖入者である、稀とか異とかそういうレベルじゃねえ。

そんな存在が、アルセウスに正しさを認めるのだ。これはまさに、アルセウス神話の補強といって良いだろう。そして、それに対して、ヒードランドータクンは、悪役に使役されている存在に過ぎず、アルセウスと比べて、非常に小さく描かれている。

いやドータクン関係ないだろ!という人もいると思うので、なぜドータクンがここにいるのかについても述べておこう。とはいえこれは簡単な話だ。以下はパールにおけるドータクンの図鑑説明文である。

 

あまぐもを よび あめを ふらせる わざを もつ。ほうさくの かみさまと むかしの ひとびとは まつっていた。

 

 

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じみにすごいやつ

 

 

そう、ドータクンも、かつては神だったのである。そしてもちろん、これまで述べてきた通り、アルセウスを頂点とする神話体系に、神としてのドータクンのいるべき場所はない。よって、この映画にてドータクンヒードランが並んで使役されているのは、古い神の矮小化という意味では、当然のことですらある。

むしろ、ここにドータクンがいることが、古い神々を小さな存在にしたいというこの映画の意思を克明に表しているのではないだろうか。

 

さて、以上で映画の話は終わりにしよう。ここまでで、少なくとも、ポケモン公式が、映画という手法を用いて、アルセウス神話の信頼性を高め、その一方で、ヒードランら古きシンオウの神のイメージを損ねようとしていた、とある程度示せたと思う。

そして、この項の冒頭で述べたように、そんな映画が、直接対象としているのは、他ならぬ我々なのである。ポケモン公式は、我々に、シンオウ神話の正当さと、それ以外の神々の劣位を映画を通して示したのである。

もちろん、映画の外においても、わざわざヒードランにむしくいを覚えさせたことなどもその一環と言えよう。

なにしろ、いかに情報がなく、あってもしょぼいにしろ、少なくともゲームの中でヒードランが虫呼ばわりされることはない。

したがって、ヒードランにむしくいを追加することによって、ヒードランに対するイメージを下げるのは、まさに我々なのである。ヒードランへのむしくい追加は、間違いなく我々へのメッセージだ。ヒードランを馬鹿にしろ、という。

明らかに、ポケモンの世界観を飛び越えて、ポケモン公式は、我々に語りかけてきているのだ。

 

いろいろ語りたいことはあるが、もう充分な気もするので、まとめに入ろう。

ここで見てきたように、ポケモン公式は、世界観の枠を飛び越えて、我々に直接、ヒードランが、卑小で、カッコ悪くて、ゴキブリみたいな存在であることを教え込んでいるのである。

なぜなら、アルセウスという神が繁栄するポケモン世界において、神としてのヒードランの存在は邪魔でしかないから。

だからタイトルに答えを返すなら、それが、ヒードランが這い回ることこそが、宗教的理由から、ポケモン世界に必要なことだからなのだ。

ゲームフリークはそれを、我々に直接表現し、メタ的にヒードランの神っぽさを打ち消して、神としてのヒードランを、ゲームというフィクションの中だけでなく、我々の生きる現実世界においても、その神話を抹殺することに成功したのだ。実際、今日もポケモン界隈や、その他いろんな場所で、ヒードランはバカにされているし、これからもバカにされ続けるであろう。

 

だって、それが、アルセウス神話を正しいものとして掲げるポケモン世界の正しいあり方なのだから。

 

...先ほど、ヒードランを馬鹿にするな、などと書きましたが、ここに謹んで訂正させていただきましょう。ヒードランは、ゴキブロスなのです。洞窟で、無意味に這い回っているだけなのです。全く、特別な存在なんかではないのです。ましてや神様なんかではありません。だって、この世におわす正しい神様は、アルセウスと、それに連なる、ディアルガや、パルキア達だけなのですから...。

 

 

5.後語りめいたサムシング

なんだかとっても長くなってしまった。本当はまだたくさん書きたいことがある。特に、ヒードランが馬鹿にされる理由②については説明していない。気がつかれている方もいるだろうが、この記事で、私はそもそもヒードラン自身がどういう存在なのかについて、深く書いていない。

ただヒードランが神であることを示しただけである。ヒードラン信仰最大の特徴であるかざんのおきいしについても、書かなかった。

なぜなら字数が、やばいからである!!!!!15000字超えそうなのである!!!!!!てかこれ超えるな!!!!!!!!

というわけで、ヒードランが馬鹿にされる理由②と絡めるはずだった、かざんのおきいしとはなんなのかとか、それに関連するヒードランそのものについての妄想は、またいつか書きたいと思います。

 

(2023年くらい 追記)

続きのようなものです

https://trinidadotobag0.hatenablog.com/entry/2023/03/02/041229

 

 

 

 

役割論理の補助技あれこれ

 ついに役割論者らしいお題だよ!やったね!

 というわけで、半ば自分の考えをまとめがてら、役割論理における補助技についてあれこれ書く。ロジカル語法はほぼ使いませんなwww

 

 まず、大前提。役割論理において補助技が認められない理由は

・技スペースの無駄、それより攻撃範囲を広げた方が良い
・補助技を使うより、殴ってサイクル崩壊させた方が早い
・補助技は攻撃技に比べ、無効化する手段が多い
・技によっては無償降臨を許す
・交代戦においては、交代すると効果が消える積み技や状態異常技と相性が悪い

ここら辺が基本(論理wikiからコピペ)

 これは論理の原則からごく自然に導き出されるものであり、役割論理においては、合理的に補助技はやはりありえないwwwとなるわけですね。

 しかし、何事にも例外があるわけで、逆に言えば、上の条件さえ回避すれば、認められる補助技が存在し得るわけだし、実際存在する。そういう技を紹介していきたい。

 論理的にありえる補助技

①ねごと

 役割論理で補助技といえばこれ、みたいなやつ。ねごとは、技範囲を狭めるという問題こそのこるものの、その他の論理的に補助技がありえない理由はクリアしているので、元々技範囲が狭いポケモン(ファイヤーなど)や、タイプ一致技の高火力こそ信条で相対的にサブウェポンの重要性が低いポケモン(ドラミドロオニシズクモ)、(7世代までは)催眠さえ凌げばキノガッサに強いポケモン(ボーマンダやラティなど)に採用されやすい技。なんなら現行の役割論理でまともに運用されている補助技はこれだけであり、こいつを積まない限り役割論者はダイウォールも打てません。ねむるは当然ありえないwww

 

②しぜんのちから

 理論的にはありえる技という奴。トライアタックは論外にしろ、フィールド特性持ちでかつ特殊アタッカーであり、さらにそのフィールドのタイプに対応する高火力特殊技を持たずひみつのちからを習得するポケモンがいるならば、採用が考えられる。そんなポケモンはいない。

 

③攻撃技を3つ以下しか覚えないポケモンの補助技

 技枠が余ってるんだったら補助技でもなんでもいれて問題はないはずという邪教的思想が結実したもの。該当するポケモンコフキムシとかシビシラスとかそういう奴らなので、現状はジョークの域を出ない。けどもし仮に正式に3つしか攻撃技を覚えないポケモンがヤケモンとして認められたとしたならば、その4つ目の技枠にはやはり補助技を積むことを認めざるをえないと思う。その上で真面目に考えると、役割論理の立場としては、技枠圧迫以外のあらゆる問題を解決していない補助技は、技枠を埋める用に供すること自体はありえても、理論上実際に打つことはありえない、となるのではなかろうか。しかし、役割論理の理論が縛るのはあくまでもパーティ構成の段階までであり、実戦の立ち回りに介入するものではない(と私は解している)ので、みんな必要に応じて補助技を連射することになるんだろうなぁ。まあたらればはありえないwww

 

論理的に議論の余地がありそうな技

ステルスロック

 議論の余地がありそうって書いておいて悪いけど、別にないと思う、ありえないwww

 じゃあなんで入れたかっていうと数合わせのためと、勘違いされやすそうなのと、役割論理のお話がしたかったから。

 まず、役割論理はサイクルを回す戦術だが、同時にサイクルを回せない戦術でもある。何を言ったんだと思うだろうが、役割論理というのは、耐久に最高でも256しか努力値を割かず、体力回復手段をほぼ持ち合わせない以上、何度も何度もサイクルを回すほどの耐久は望めないのである。

 その上で、役割論理は火力に重点を置き、相手のサイクルの高速崩壊を追求する。つまり、役割論理というのは、実の所サイクルを回しつつサイクルを拒否するというある意味矛盾した思想の上に成り立つのだ。この思想についての掘り下げは一旦脇に置いて本題に戻ると、現実として役割論理で回るサイクルは、多くて3、ここ最近の高速対面環境においては、2周しないこともザラである。こういう、サイクルを多く回すわけでもなく、さりとて圧倒的抜きエースを運用するわけでもない役割論理と、ステルスロックという技は、根本的に噛み合っていないのである。

 他にも、(出来る限り)1ターン目に打つことを要求するステロと柔軟なサイクル戦は相性が悪いとか、反ステロ的根拠をいろいろ書き連ねてもいいのだが、めんどくさいので割愛。

 で、こっからは与太話なんだけど、じゃあ逆に、相手にダメージを多く与えられるなら、ステロは認められるのか?という話。実際、論理wikiでのステロの記述を見ても

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まるで殴るより負担をかけられるならありえるかのような書き振り。

 それでもなお、結論として私は役割論理とステロの両立は絶対にありえない、と思っている。こっからいつも通りの論理飛躍地帯に突入するんだけど、私は、役割論理という思想に無理なくステルスロックが入ってきたその時、役割論理という戦術は崩壊しており、対戦理論としての価値を失っているから、結果的にステルスロックと役割論理が両立することは永遠にありえない、という説を提唱したい。

 上述したが、役割論理とステルスロックは、その思想の上で、対極に位置しているのである。なんとなれば、ステルスロックが採用されるとなれば、こちらの相対火力が低く、かつ相手の耐久が高いことからサイクルを崩すことができず、さりとて自分たちのサイクルも長く崩壊しない状態でしかありえないであろうと思われるが、これはまさに役割論理の理念の真反対だからだ。先ほども言ったが、役割論理はサイクル戦を拒否するサイクル戦術であり、無為なサイクルの引き延ばしそれ自体が役割論理の敗北なのである。

 で、どういう時、こういうステルスロックがサイクル戦をする上で必須になるほどの状況が発生しやすく、ステルスロックの採用率が上がるのか、我々はその答えを知っている。

 

 

 

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かわいい

 

 

 そう、ピカブイですね。ピカブイ対戦環境では大いにステルスロックが猛威を振るったことは、比較的記憶に新しいと思う。んで、ピカブイでステロが強い理由はいくつかあると思ってて、わかりやすく言うと、まず、シングル66なので、純粋にステロが活きる機会が多い。さらに、持ち物なし、実質努力値なしの結果からくる火力の低下によるサイクルの長期化が、ステロの発動機会を増やしている、あたりかな、と。なんとなく先が読めたと思うけど、この、ステロが強い理由としての要素って、役割論理を成立させない要素なんだよね、実際、ピカブイ環境では役割論理は大々的に考察されることすらなかった。役割論理はシングル63を想定してるし、更に言えばその成り立ちからいって努力値、持ち物ありを想定している。 

 何故なら、そういうデフレ環境に君臨した役割理論が、努力値と持ち物による火力のインフレについていけずに滅びた結果、役割論理がそこに適応する形で生まれたから。役割理論がなんなのかについて書くと冗長がすぎるので割愛、調べてね。

 役割理論についてご存知の方はわかると思うが、ピカブイの対戦環境には、役割理論が、その古代の姿をなおとどめて幅を利かせていたことは実感されるところだと思う。つまり、ステルスロックが繁茂し、役割論理の思想に則ってすらステルスロックが採用されそうな環境は、そもそも役割理論が十分有力であるため、いわば役割理論の環境適応型ともいうべき役割論理には、その居場所は全くないのである!この事実は、同じく役割理論の落とし子である受けループが、やはり役割論理と同じくピカブイではなりを潜めていたことからも、証明できると思う。

 なんか他にいろいろ書くつもりだったけど書いてるうちに忘れたのでこの辺で、思いついたら付け足したく。

 と、いうわけで!!!!!!役割論理とステルスロックは、その根源的なところで相容れぬ存在であり、論理がステロを受容したその時、役割論理は死んだといってよいだろう。

 つまり役割論理って、環境が対面志向すぎても(剣盾)、サイクル志向すぎても(ピカブイ)生き残れないんですよね、かわいいね、天然記念物だね、保護してね。

 

 

 ②すてゼリフ

 さっきまでの私はこっちを本題とするつもりだったのに、なんかステロに熱くなってしまったのですごく短くなりそう。

 まあこっちは至極単純な話で、すてゼリフ、論理的にありじゃね...?サイクル回るし。

 いや負担がかからねえだろって言われるかもしれないが、役割論理は低火力とんぼがえりに寛容で、控えめぺリッパーのとんぼがえりすらも許容されるのである!下降補正無振りA50タイプ不一致威力70技の火力指数たるや圧巻の4410!これは無振りポッチャマのみずでっぽうに惨敗する数値ですね。

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ポッチャマ

 

 いくらなんでもポッチャマのみずでっぽうを指差しておおこれこそが相手に負担のかけられる高威力技なのじゃ、などとは言うまい。つまり、ぺリッパーのとんぼがえりの真価はサイクル性能にあることは明らかであり、サイクル性能を除けばたすき潰し程度にしか使えないこんな技がありえるなら、すてゼリフだって許されるだろ、という話である。

 

 

まとめ

 胡散臭い机上論を弄ぶ前にポケモンしろ

 

 

 

 

タイレーツの元ネタ考察

 

①タイレーツくんのなぞ

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 タイレーツというポケモンは、変な奴らが多いガラル地方でも屈指の謎生物と言っていいだろう。6匹で1匹という異様な構成、謎すぎるタイプ、全体的に奇抜すぎる見た目...我々は、あまりにもこのポケモンのことを知らない...しかし、この不思議な生命体について長く調査を続けた我々は、遂にその真の正体を突き止めた。

 まず、タイレーツのモチーフはなんぞかと、Google先生にお伺いを立てると、どうもギリシャファランクス、特にスパルタ兵をモチーフにしているらしいとのお返事が返ってきた。でも、本当に?

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 なるほど、彼らのフォルムは、どことなくスパルタ兵の兜に似ているような気もする。でも、逆に言えば、彼らのスパルタン要素なんて、それくらいしかないのではなかろうか?

 

②タイレーツくんの見た目について

 詳しく見ていこう、まず、彼らは縦一列に並んでいるが、これはファランクスとしてはおかしい。もちろん、ファランクス陣形とて縦の厚みは大切である。例えば、紀元前371年に発生したレウクトラの戦いでは、より縦に厚みをつけたテーベ軍が、最強を謳われたスパルタ軍を打ち破ったし、さらに言えば、ファランクスの最小単位自体は縦隊だ。しかし、ファランクスという隊形の一般的イメージが横列に凝縮されていることもまた異論の無いところだ。少なくとも、ファランクスという概念を一般化して前面に押し出したいならば、その隊形は、縦ではあり得ないのである。

 次に、彼らの持つ盾(らしきもの)についても見てみよう。彼らの盾は、円形で、かつ中央に剣のような突起物が突き出している。もしかしたら、この盾の姿形には、見覚えがある人も多いかもしれない。うん、これ、ダークソウルシリーズのカタリナ騎士が持ってるアレそのままだよね。

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かわいくて、かっこいい

 

 というわけで、この種の盾自体は実在するし、歴史上用いられた。だがしかし、これを、タイレーツが、少なくとも古代ギリシャの歩兵をモチーフにしたキャラクターが持つのはおかしい。

 このような盾の中心に設けられた突起物は、一般に盾芯と呼ばれ、敵の攻撃を受け流す効果を期待された。基本的には丸みを帯びたものが多く、尖っている例は少ない。ともあれ、大切なことは、この盾芯という構造は、中世西ヨーロッパにおいて大々的に利用されたものだという事実だ。古代南東ヨーロッパではない。さらに言えば、タイレーツがもつような尖った盾芯は、特にノルマン人やヴァイキングなどのゲルマン人、つまり現在のイギリスや北欧に住した人々が好んで用いたとされる。すなわち、この盾は、古代ギリシャギリシャ人達が構えるにはあまりにも似つかわしく無い種類のものなのだ。

 ちなみに、似た種類の盾としてはアガーダというものが存在する。こちらはより小型の盾に、やや長い短剣を合わせたもので、盾芯のような攻撃を受け流すといった目的ではなく、積極的な攻撃手段として用いられたらしいが、これもまた中世北アフリカで生まれたもので、やはり古代ギリシャとは関係が薄い。

 

 というか、盾の種類がなんであれ両手に盾はないだろ。

 

 以上のことから、タイレーツの姿形は、それが古代ギリシャをモチーフにしたというには、いささか矛盾の多い代物であることはお分かりになったと思う。

 

③タイレーツくんの設定について

 外面だけでポケモンを判断するなというのは当然である、というわけで、次はタイレーツの中身について見ていこう。とはいえ、剣盾で初登場のタイレーツには大した設定もなく、特徴らしい特徴と言えるのは、その専用技「はいすいのじん」くらいのものだ。そして、このはいすいのじんこそが問題の要なのだ。

 そう、はいすいのじん、もとい背水の陣というのは、古代中国の名将、韓信が陳余と決戦に臨んだ際、川を背後に自軍を配置して士気を高めてこれを大いに破った故事に由来しているのだ!実は中国はギリシャではない。

 つまり、彼らの最大にしてほとんど唯一の特徴とも言える専用技には、ギリシャのギの字もないのである!!!

 ここまでくると、むしろ彼らがスパルタ兵モチーフであるという積極的な理由を見つける方が難しくなってくるのでは無いだろうか?

 更に言えば、仮にタイレーツが古代ギリシャ人だったとしても、それが、イギリスをモチーフにしたガラル地方に登場する理由は全くないのである!後に大英帝国は世界最強の名をほしいままにしたとは言え、スパルタ全盛期ごろ(BC400〜)のブリテン島は未だ竜と妖精の住まう御伽の国に過ぎない。

④タイレーツくんの問題点まとめ

 以上のことから、タイレーツを構成する多くの要素が、古代ギリシャ人とはかけ離れていることがおわかりいただけたと思う。

 タイレーツのあり方は、一見なにか特定の軍事集団を表しているように見えながらも、その実、時代も、地域もバラバラな歴史の断片の寄せ集めに過ぎない。この乱雑なまとまりの中から、一つのしっかりとした世界史的モチーフを見出すことは不可能と言っていいだろう。

 ここで疑問が生じる。このポケモンのモチーフは、本当に人間が歴史上生み出してきたものなのだろうか?この、歴史趣味者がいかにも好みそうな、無作為で、断片的なたくさんの要素は、その本質を覆い隠すために、ペタペタと貼り付けられた、ハリボテに過ぎないのでは無いだろうか?我々は、表層だけを見て、満足していたのではないだろうか...?

 タイレーツのモチーフは、もっと別の、まったく違うところに、転がっているのではないだろうか...?より深い、歴史の奥に、もはやそれが歴史とすら呼べないような、悠久の時間の流れの、奥の奥に...

 そう考えた私は、10分くらいのあまりにも長い長い探索の果てに、タイレーツの真の正体と思しき存在の究明に成功した。

 

④タイレーツくんの正体

 そう、その正体とは...!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この、ミクロディクティオンである!!!!

 

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↑これ

 

 待ってほしい。ちょっとだけ話を聞いて欲しい、これはネタでもなんでもなく、マジのやつである(マジ)

 このミクロディクティオンという生物は、カンブリア紀(だいたい5億年前)の地球に生息していた葉足動物の仲間である。あのハルキゲニアの親戚といえば、聞き覚えのある人も多いのでは無いだろうか。

 で、この見た目がちょっと似てるだけな気がする古代のキモいゴカイもどきのどこがタイレーツなのか、これから説明していきたい。

 まず、この生き物の特異な点は、柔らかい体の節々に、小さな丸い、盾のような甲皮を備えていることである。つまり、上の画像で言えば、青いやわらかい部分の外側に、赤く丸い盾が点々と両側にあるのが見えるだろう。これはもう完全にタイレーツである。なんならタイレーツが両手に盾を持っている理由もこれで説明できる。

 「でも、こいつは1匹の生物であって、6匹1組のタイレーツとは根本的に違うだろ!」と憤激なさる方もおられよう、ごもっともだ。

 しかし、実はこのミクロディクティオン、発見当時は、側面の小さな盾一つ一つが個別の生物であると考えられていたのである。それが、後に盾がいっぱい集まってでかいイモムシになると気づかれたのだ。なんなら、ミクロディクティオンという名前自体も、本来はこの盾に対して付けられたものであり、後に、これがより大きな生物の部品にすぎないことがわかったために、その生物に流用されたに過ぎない。

 つまり、タイレーツの6匹で1匹という構成は、このようなミクロディクティオンが生物として成立した経緯を表しているのだ!

 盾から飛び出した突起物については、ハルキゲニアやディアニア(通称サボテンモンスター)といった同時代の葉足類仲間の特徴を引き継いだものと見れば良いだろう。

 以上のことから、タイレーツの特徴の多くの部分が、この奇妙な生物にも当てはまることがわかる。

 しかし、疑い深い諸君はなおもこう言うかもしれない「こいつだってイギリスとはなんの関係もないだろ!」と。確かに、こいつの発見地はチェンジャン、つまり中国であり、ブリテン島では無い。しかし、この生き物と、ガラル地方には確かな繋がりがあるのだ。

 カンブリア、という言葉は、皆さん一度くらい聞いたことがあるだろう、カンブリア紀カンブリア宮殿...地学の授業をある程度まともに受けるか、テレビをそれなりに見るか、そうでなくとも、その名はあまりにも有名だ。しかし、このカンブリアの由来については、意外なほど知られていない。この語は、現在も地球上に存在する、とある地方のラテン語名である。その地方とは...何を隠そう、かのウェールズ地方だ。

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 そう、ポケモン剣盾の舞台となった、ガラル地方がモチーフとしている、まさにその場所なのである!!!!!!カンブリアとガラル地方には、深い関係性が存在するのだ!!!!!!!!!

 これだけでも充分な繋がりと言えるだろうが、更にダメ押しをしておこう。タイレーツが出現するのは、ワイルドエリアとかいう生態系壊滅済み化け物パーティ会場を除けば、8番道路のみだ。

 そして、8番道路のモチーフは、シェロップ・シャーである、と言われているが、それは一体どこなのだろうか?

 これを見て欲しい

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...シェロップ・シャー自体はイングランドに属しているものの、ウェールズ地方のピッタリ東に位置することがわかる。そして、今のところガラル地方には明確にウェールズ地方をモチーフとした場所が確認されていない以上、8番道路が、最もガラルにおいてウェールズそのものに近い場所なのである。そんな場所にのみ、タイレーツは現れるのだ......。もう、これ以上言葉を重ねる必要はあるまい。

 よって、ここに結論づける。ポケットモンスター・ソード・シールドに登場するポケモン、タイレーツの真のモチーフは、カンブリア紀の葉足動物、ミクロディクティオンである!!!!

 

⑤まとめ

 

 

 

 

 

 

正直すまんかった

でも、ガラル化石枠は絶対カンブリアだと思ってたのに意味わからん改造生物に取られたから、どっかにカンブリアネタが仕込まれててもいいと思うんだ